2020-01-01から1年間の記事一覧

ディーゼルしんかんせん

21日土曜日は、予土線を走る汽車を追いかけて遊ぶ。松野あたりで、線路沿いで、汽車が来るのを待っていると、来た。 トロッコ列車と新幹線とかっぱうようよ号。 写真、息子はなんかもっとこだわって、花と汽車と撮ってたな。そんで、もう菜の花はいい、と…

遺跡めぐり

くる日もくる日も、耳に入ってくるのは新型コロナウィルスのニュースで、ほんの10日ほど前のことを書こうと思うのが、ずいぶん前のことのように思えるけれど、今朝、兄から電話があったのは、愛媛で集団感染があったという話だった。葬儀での集団感染らし…

菜の花の丘を越えて

地理が苦手だった。加えて、好奇心よりは気後れの強い子どもであったから、家と学校を行き来するより外の地域については、何にも知らないまま、郷里を離れた。犬寄峠なんて、名前も知らなかったわ。19日、朝ごはんを食べて高松のホテルを出て、宇和島まで…

納骨と温泉と

父の葬儀を終えて、帰ってきたら、コロナ対策で学校は休みになり、学年末試験も流れて、息子は大喜び。ああもう、物理をやらなくていいんだ、とか、提出が4月なら、なんで通夜の後までノート開いて数学の問題解いていたんだ、とか言っていたが、そのあとす…

風が吹いて

1月27日、宇和島にかつて経験したことがないほどの、突風が吹き荒れた。上の叔父の家の納屋は崩壊したし、父の家の周辺も、そこらじゅういろんなものが散らばったらしい。お城山の管理や観光案内をしている下の叔父は、お城の木が倒れたところに遭遇、小…

愛の夢

弟には15、6年ぶりくらいに会った。前に会ったのは、息子がまだ赤ちゃんのとき。弟の大きな声におびえていたのを思い出すけど。いまは弟も補聴器を入れて、自分の声の調節もできるようで、普通に会話できた。息子にすればはじめて会うのだが、彼が言うには、…

父の杖 

なんだか、あっという間だった。父の葬儀を終えて、昨夜帰宅。 23日の午後に息が止まった、という知らせが来た。電話の向こうで兄が涙声。突然といえば突然。医者は転院先を探していたから、お花見くらいはできるかと思った。私は26日に帰省のつもりだっ…

局地風(わたくし風)

1月27日に、宇和島を襲った強風は、局地風で、わたくし風、というらしい。32.6メートル。とんでもなかったろうなと思うんだけど、兄が言うには、あんなひどい風は生まれてはじめてだったらしい。その兄が電話してきたのは、7日だっけか。一週間ほど前…

っぱなしの…

服脱ぎっぱなし、電気つけっぱなし、戸をあけっぱなし、食器出しっぱなし、カバン投げっぱなし、本投げっぱなし、教科書ノート出しっぱなし、それで、提出物がどこにあるかわからないとか、ばたばたしている。いいかげんにしてほしい。と息子に言ったら、マ…

阿川パパ

1か月くらい前かな、テレビに、山口の阿川駅が映った。それで、なになに、とのぞきこんだら、鉄道番組じゃなくて、阿川佐和子のファミリーヒストリーだった。阿川のルーツがそこだということで。で、お父さんの阿川弘之が広島で生まれ育って付属から東大に…

存在しようと

詩誌「みらいらん」。コラム書かせてもらったので、貼っときます。 ドイツ語ができないので、リルケの詩が本当はどうなのか、わからない。手もとにある3冊ほどの詩集の訳はそれぞれに違っていて、私が15歳のときに、記憶した訳とも違う。どんな本を読んだの…

詩誌「みらいらん」5号の小特集「童心の王国」面白かった。そのなかで、蝦名泰洋さんが、季語と芭蕉の俳句のことを書いているんだけど、途中にはさまれている修道院の僧ベルナールさんの話が、個人的にツボだった。修道院の庭に花を見つけて、沈黙の戒を破…

母のつづき

母が52歳で死んだので、人生はそれくらいの長さなのだろうと、思っていた。わりと強く、そう思っていたようだ。それでも途方もなく、十分すぎるほど長く思えていた。18歳の頃は。人生が50年もあるなんて。 人生は終わったのに、なぜまだ生きているのかよくわ…

桂浜の小石

翌3日。暗いうちにホテルを出て、駅へ。行ったことのないところ、乗ったことのない路線は憧れであった。息子はやってきた車両に感動している。どこが感動ポイントなのか、私にはわからない。徳島から阿波池田まで。乗り換えて、土讃線で高知まで。この日は…

ユニコーン、こんなところで

2020あけましておめでとうございます。 1月2日3日は息子と旅。2日朝、朝5時過ぎの始発で出発、この日は青春18きっぷ。尾道の海が見えるあたりで朝焼け。瀬戸大橋を渡り、徳島行き鈍行、途中乗り換えて鳴門まで。 息子は徳島初上陸。私は何十年前かに一…