昨日の友は

向かいの森の桜が満開。Cimg7606

新学期はおだやかにはじまっている。クラス替えがあり担任も変わった。
以前の担任が「新しいクラスはどう?」と声をかけてくれたので、「まあまあ、いい感じです」と息子は答えた。「それはよかった」と前担任は言ったらしい。
これはよほど気をつかってもらったな、と思う。
Fとは離れたし、ミッキーも洪水ちゃんもいない。罵倒観音もいない。オトちゃんもいない。学校の話題のおもだった登場人物が、みんな別のクラスにいった。

一緒のクラスになったHくんは、息子とFが仲違いしたことに心を痛めている。理由を聞いてくるので、話したら、叩いたりからかったり、それくらいのことはみんなするじゃないか、仲直りしようよ、と言ったらしい。「程度が違う」と息子は答えたらしい。

Hくんは、やさしい子なのだろう。罵倒観音と息子の間が気まずくなってしまったときも、なんとかそれを解消しようとして、罵倒観音から、「私、言い過ぎたかな」という言葉を引き出してきたし、すると旗色が悪くなったミッキーがあやまってきた。でも、罵倒観音との間の気まずさは、たぶん卒業まで続くと思うな。
息子とFとのことも、仲良くやれないという状況事態を、たぶんつらく感じてしまうんだろう。

「昨日の友は今日の敵」と、パパが言ったら、息子がそれを気に入って「それ、座右の銘にしようかな」と言ったらしい。

思えば彼は、小学校の頃から、一緒に遊んだり、親しくつきあった子たちの多くと絶交している。まるで、絶交する理由を確信するために(傷つくために)、友だちになるみたい。たった13歳で、いろいろ苦い経験をしているけど、その経験値は、きっと役に立つと思うよ。



日曜日に、義父さんがやってきた。そのときは何も言わなかったのに、あとから手紙を送ってきた。パパと息子宛て。孫に、何か言いたいことがあるのだ、何か諭してやりたいのだ、……孫への愛情だけは伝わるんだけどね。面と向かって言えないから手紙なんだろうけど、要領を得ない手紙の最後は、九州旅行への苦言。地震がつづいている危ないところに行くなどという軽はずみなことはしないでくれ、という内容だった。
そんなこと言ったら、どこにも行けない、どこでも暮らせないと思うけど、こういう場合は言い返さないが吉だと、まあまあ私もわかってきた。手紙、私宛てじゃないし。
「これは息子に見せなくていい」とパパが片付けた。

息子が自分で行くと決めて、小遣いはたいて切符を買った旅だということを言っておいてよかった。私が連れて行ったと思われたら、孫への心配ではなくて、嫁への怒りになるところだわ。それにしても思いがけない内容だった。
他人が何を考えるかなんて、ほんとにわからんもんだと思う。

息子は自分がコミュ障と思っていて、それを克服しなきゃと考えるらしいけど、そんなこと考えなくていいから。そこらじゅうコミュ障だらけだから。それより、自分がどう生きていきたいかを、丁寧に考えるのがいいと思う。