雨天決行 じょいふる

運動会は雨天決行だった。
順延と決め込んでいたから、近所のママが電話くれなきゃ、行かないところだった。
ときおり小雨がぱらつくなか、プログラムの変更もありながら、運動会はじまった。パパは町内会長の代理させられて来賓席にすわってビデオまわしてる。私は反対側の後ろのほうの町内会のテント。
で、子ども背が低いから、後ろのほうにこない。どこにいるのか、私からはさっぱりわからん。

かろうじて、靴が、黄色い蛍光色なので、靴探す。たくさんの足のすきまから、黄色い靴が飛んだり跳ねたりしているのが見える。
この靴、昔、東京でしばらくいっしょに暮らしたことのあるお姉さんが贈ってくれた。学校の基準靴は白だが、あるものはかせてもらう。この靴がなかったら、どこにいるかわかんないままだったわ。

この曲で踊っていた。いきものがかり、じょいふる。 



それから走ってた。


6年生の組み体操のときはざんざん降ってきて、雨のなかの演技。 
ただの組み体操が、ちょっと感動的な組み体操になっていた。


午後は中止。かけっことリレーはなし。

子ども、走ってるし、踊ってるし、赤組負けたので素直に悔しがってるし、なんか、この子ども上出来である。



私はというと、小学校から高校卒業するまで、学校行事で何が嫌いって、運動会が1番きらいだった。まず練習がだるいのである。行進の練習がすごくつらかった。体操もうまく動けないから叱られるんだが、だからといってどうすればいいかわかんないし。ピストルの音はこわいし、走ったら必ず1番最後。
毎年秋になると憂鬱だった。中学高校になると応援の練習とかあって、上級生がえらそうで、そのえらそうなのに叱られるのが、また憂鬱なんである。何年生のときか、運動会の日に熱が出て休んでよくなったときの安堵感と、勝っても負けてもどうでもいいから早く終わってくれないかなって、一個年上の、その後行方不明になった女の子と、つぶやいていたこととを覚えてる。同じ気持ちの人がいると思って、そのときなんかすごくうれしかったんだ。

いまも、保護者席にすわってて、ほかの人と話す気にもなんないし、だるいのである。まわりは爺ちゃん婆ちゃん一族総出で、早朝から席取りしてるらしいのでしたが。ああ、この盛り上がりが、私はわからん。
そいで昔の癖が出る。ある時期から、休み時間にほかの女の子たちと話すのがとても苦痛になって、だれにも話しかけられないように、本読んで過ごしたが、今日も子どもの靴探す以外は、本読んでいた。

鞄に入れっぱなしは、なぜか夏目漱石の子ども時代のトラウマの話。
なんでもいいや、とりあえず、本を開くと落ち着くのである。逃避場所確保。



そいで私は、黄色い靴を探していただけなんだ。
運動会のあと電話する。「お姉さんが贈ってくれた靴のおかげで、運動会で子どもを見つけられたよ。ありがとう。」
さてそのお姉さん、子どものころのポリオが再発して、歩けなくなってしまったっていう。とてもしょんぼりした手紙と、体型が変わって着れなくなったらしい昔の服がひと山(これは私が着る)、届いたばかり。

何か楽しい手紙書かなきゃ。
「あんたにそっくりの三頭身の子ども」の話でも。