クリスティーナ

こんなの見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=D81UGdYZ07I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6-Tx-e44jWw&feature=related

いきなり、19歳くらいの夜にひきもどされる。あのころ、誰かがテープくれたんだ。ああ、かんべんしてほしい、と思いつつ聞いた。
あの頃な。どこにいてもいてはいけないところにいるようで、存在は罪悪だと思いつめていた頃だ。どうかして自分を消去したいと思ってた。

もう半ば、夢のなかの景色のようだけれど、駅前の川べりあたりの真夜中、猫にえさやりながら、客を待っていた「おかあさん」。出稼ぎにきていたフィリピーナたちが「おかあさん」と呼んでいた。今日は猫にみんなやってしまったから、あんたたちにあげるものがなんにもないわ、と言った。一緒に遊んでくれたフィリピーナたち、あのとき同い年のマデールは、恋人と別れたばかりで妊娠していて、でも赤ちゃんは産むんだと言っていて、私はそれがどうしてもどうしても理解できなかった。20代のはじめ頃。ようやく理解したのは、それから7、8年もしてフィリピンに行ったときだ。ああここで生まれ育った子なら、産むだろう。
同じ頃、まわりの日本の女の子たち、みんな中絶していた。学生だったせいもあるのかもしれないけれど。片手でたりないくらい。未成年で自宅生だった年下の女の子に、私は保険証を貸したことがある。誰にも内緒で。男にも内緒で。病院、ついてったけど。
マデールの決心も、日本の女の子たちの決心も、どちらも、私はふるえるほどこわかった。猫の交尾の声さえ、叫びたくなるほどこわかった。

何が、と、もういちいちわからないんだけれど、こわかったなあ。
こわくてこわくてこわかったなあ。全然わからない世界を手探りで歩いてるみたいで、何かにぶつかっては叱られる、憎まれる。ぶつかって痛いのは私なんだが、悪いのも私らしい。もう何がなんだか。

一度、あれはもう東京に行ったあとで、死んだOさんに、真夜中に道の真ん中で、しがみついて大泣きしたことがあった。また、あのおじさんが泣かせてくれるんだ。だいたい、泣くと叱られて不安になる、不安になるからまた泣く、という繰り返しで、そのうちどっか壊れて涙も出なくなるが、あのときは、私は不思議に安心して思う存分泣いた。「こわかったんだ」って言ったんだ。ずっとこわかったんだって、言ってはじめて、こわかったんだと気づいた。18からひとりで生きてみることは、それから男と暮らすことはもっと、いろんなことがもうとってもこわかったんだ。
それで泣き終わって別れたあとで、心臓に血が流れてるのがわかった。心臓があったかいなんて知らなかったな、と思った。

東京にいた10年間、私がどんなときもOさんは変わらないまなざしで、私は、Oさんのまなざしのなかで、自分がまだ人間なんだとときどき思い出した。私は自分を気味の悪いけもののようにしか感じていないけれど、この人は私をまだ人間と思ってる。この人がそう思ってくれるのなら、私もまだ人間なのかもしれない。
Oさんに、いつかあの夜のことを、ありがとうを言えればいいと思っていた。いつかもっと年をとって言えればいいなと思っていたのに、言えないうちに死なれてしまった。

だいたい私はいつでも遅い。いつでも間に合わない。

ゴミの山に行ったのはそれからまもなくの頃で、ぬかるんだゴミの山の上をよろよろ歩きながら、ここで倒れたら明日はゴミだなあと思った。それでもいいやと思った。そんなふうに死んでいく誰かもいるだろう。もしも誰かがそんなふうに死んでいくんなら、私がそうであっていけない理由もない。
そう思ったら落ち着いた。死に場所が見えてようやくほっとして、ああ、私この世で生きていけるかも、と思った。

傍らにジョイやグレースがいてくれた。
それからクリスティーナに会った。
クリスティーナ。どうしているだろう。いつからか消息不明の。
クリスティーナのことは、言おうとすると胸がつまる。
だいたい何でも書けるんだけど、クリスティーナのことは、言いにくい。私はあの小さな7歳の、傷だらけのちぢれっ毛の色の黒い女の子に、救われたんだけど。それがどういうことかは、すごく言いにくい。
神さまにしか言えないことってあるかもな、とクリスティーナのことを思うと、思う。

あなたが私を救ってくれた功徳で、どこかで幸福でいてくれたらいいなと思う。生きていても死んでいても、幸福でいてくれたらいいなと思う。