4日は河津聖恵さんの出版記念の会だった。
この本。
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詩の朗読と、チェロとピアノの伴奏が、贅沢だった。
ショパンの悲しみの川。歌曲だけど、これはピアノだけ。
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尹東柱の「たやすく書かれた詩」の朗読の伴奏で、任キョンアさんがチェロで弾いていた曲。李英哲さんの朗読もよかったのだ。チェロの音が、詩のなかの雨だれの音に聞こえた。音のなかに詩の風景と詩人の姿が見えた。
……
六畳部屋はよその国
窓の外では夜の雨がささやいているが、
灯りを点して 暗闇をわずかばかり追いやり、
やがて時代のように訪れる朝を待つ 最後の僕、
僕は僕へと 小さな手をさしのべ
涙と慰みに握る 最初の握手 (李英哲訳)
参加者の発言、ひとりひとりの背景も多様で、みんな言いたいこと言っていたのでしたが、異なるものをありのまま自由に存在させる、朗らかさ、について考えた。
詩は、そのような朗らかさとともにあるもののような気がした。
たぶん、藤原書店というあの場所で、石牟礼道子さんや多田富雄さんの本が並んでいるなかで、チェロとピアノ伴奏の詩の朗読なんかを聞いたせいだけど、「能」について考えた。
梅原猛が、能のことを日本の宗教劇と言っていたけど、そのようなものはいまも切実に必要ではないだろうか。
石牟礼さんの新作能をこないだ読んだせいもあるんだけど、それは「天草四郎」だったけど、それが原民喜や尹東柱であってもいいなあと、ふと夢想する。
と考えると、能にもつながっていきそうな、不思議な詩人論なのだった。あの難しい詩人論を、能のシナリオで読みたいような気がしてきた。
詩人が書いた詩人論が藤原書店から出版されたことを、納得した。
「闇より黒い光のうたを」に出てきた詩獣たちの詩劇、を見てみたいなあ。
☆
石川逸子さんとお会いできたのがうれしかった。先日亡くなった御庄博実さんのお話を聞いた。詩を書いて逮捕されたときのこと、飛行機虫のこと。など。