気持ち

子どもが言った。
「ママ、昔ママはぼくのおもちゃを取り上げたことがあったでしょう。あれはよくないんだ。子どもにはおもちゃが必要なんだよ。」
何年も前のことを抗議しているんであるが、何かの本に書いてあったな。子どもは玩具で遊ぶことが必要ですとか。
でも、考えてみてください。どうしてきみが玩具を取り上げられたかを。片付けないからでしょう。誰が悪いんでしょうか。
って言ったら、あー、って顔をおおって向こうへ行った。

育児書か何か読んだ子どもが、お母さんの子育ては間違ってたよって言いにきたみたいなもんだが、そんなの高校生になってからやって。10年早い。
いや、なんにしても、私の子どもになった時点で、もう手遅れなのか。

うちに、育児書の類はないが、アスペルガー症候群関連の本はある。
「ソーシャル・スキル・マニュアル」というのは、自閉症傾向の子どもが苦手なコミュニケーションのスキルを、身につけるためのワークブック。幼児から中学生向け。何年か前に、療育のドクターにすすめられて買って、幼児向けのところだけ目を通して、そのまま忘れていたのを、子ども引っぱり出して読んでいた。

自分で読んでくれれば、手間がはぶけます。
というわけにもいかないんで、つきあう。いろいろシートに、○や×を書き込んだりしているが、両方書いてあるのは、どっちかわかんないんだな。言葉と気持ちの関係とか、気持ちの把握とか、難しいね。



帰国したその日の午後に、近所のおばさんが亡くなった。去年の登校班の班長さんのお婆ちゃん。71歳。6年前に、多発性骨髄腫になって、闘病中だったが、持ち直して、自宅療養していたのが、すこし前からまた入院していたのだそうだ。パパは訃報のお知らせをつくって、配って回る係。
翌日お通夜で、家族で一緒に行くつもりでいたら、子どもが言った。

「ぼく行きたくない。ぼく、もう死体を見るのはこわいからいやなんだ」

そうか。考えたら、子ども、お葬式はこれまで4回行った。一度は、私のとても親しい人だったので、焼き場まで行った。

わかった。行かなくていいよ。
お通夜はパパだけ行った。
こわいと思っているとは、気づかなかった。