女人に御教訓あるべからず

「女人に御教訓あるべからず、だよ」とパパは言う。「女子は理屈じゃないからな」と。

モットーのひとつのようである。
女に何いっても無駄、といいたいのか、言ったらよけいにうるさくなるからやめとけということなのか、どうせかなかわない、ということか、何か言ってもへんな風に受け取って勝手に傷つくだけだぞ、とか、なんせ得なことはないよ、と、そんなところなんだろうが、

実際彼は、父親とはいまだに大喧嘩もするが、母親とは喧嘩しない。母親が、多少支離滅裂なことを言っても、父親に対してのように、それを諌めたりとか、それで言い争いになったりとかは、しない。

でも私とはするじゃんね。むかつくほど御教訓するじゃんね。



それはそれとして。畑のトラブルの件なんだが。

Tさんは、あんまり人づきあいができるような人じゃない。自閉症スペクトラムだろうねと、同じ穴の私たちは思うんだけど、そこはわかってあげなきゃいけないところだから、Hさんと話すときも、多少かばいぎみに話すには話したが。

相手の気持ちを考えられない人だけど、悪意はないと思うよと。

Tさんには、パパが事情を聞きにいった。
Tさんの息子はそろそろ成人だが、知的障害があって、作業所に通っている。最初にここにひっこしてきた日、まだ小学生だった彼に、いきなりおっぱいつかまれたので、私はいまだに彼を警戒しているが(冗談だが)、Tさんもずっと私たちを警戒していた、と思う。
それから私たちの子どもが自閉症スペクトラムだとか、義父さんが知的障害者の施設のえらい人だとか、わかってくるにつれて、次第にうちとけきた、という感じなんだけど、私よりはパパのほうが話しやすいみたいだから、パパが行ってくれたんだけど。

「Hさんをこわいの」とTさんは言ったそうである。「どんどん侵食されていくみたいで。だから、出ていってほしいの」。

やれやれ。

まあ、理解できないことはないよ。大学で寮に入ったとき、2人部屋だったけど、私はおなじ部屋の女の子がこわくてならなかった。相手が悪いのではなく、何かトラブルがあったのでもないのだが、人がそこにいるというだけで、自分がうまく呼吸ができないのである。
結局1年で、寮費月100円というありがたい寮を、自分から出ていくことにしたのだが、
それからも、似たような経験は何度かしてきたから、Tさんの言うこともわかんないわけではないが、
人と一緒に暮らすこと、人と一緒に何かをすること、とにかくたしかにむずかしいのだが、
でも経験の度ごとに、なんとかすこしずつ他者に対峙できる自分をつくっていくんだと思うんだけど、
つまり、還暦を迎えた人が何あまえたこと言ってんだよ、と思ったりするんだけど、

女人に御教訓あるべからずのパパは、「わかりました、じゃあ、Hさんにはうちが使ってる畑をつかってもらうように言うのでいいですかね」と、言った。
すると、Tさんは、「そうしてくれると助かるわ」と無邪気に言ったそうで、
自分がどんなわがまま勝手なことを言って、Hさんを困惑させたか、わかってんのかな、と思うけど。

「収穫があんまりないのよね、とか言ってるから、欲もあるよ。欲が出てきたら、だめだよ。自分の土地でもない、借りているわけでもないところで、やってるんだという、わきまえがなくなってる。」とパパ。

さてその翌日、Tさんがやってきて、パパに言った。
「風呂おけを移動させるから、もう使えないから」
去年Tさんが運び入れた風呂おけに、私はHさんちから水をもらって、それで水やりして、助かってるんだけど。そうしろと言ったのはTさんなんだけど。
さすがにパパも言ったらしい。「それはぼくらに使ってほしくないということですか」
すると、そうなの、とうなずいたそうである。
女人に御教訓あるべからずのパパは、「わかりました」と言った。

べつにいいのだ。以前のように、ポリ容器でうちから水を運んでもいいし、Hさんと相談して、ポリバケツを新たに設置してもいいし。

「Tさん、狂い始めてるなあ」と私たちは話した。「欲深になってるし、視野狭窄だし、自分にそもそも権利がない土地をこっそり使ってるんだというわきまえがないし、感謝がないし、恩知らずだし。風呂おけを使うなと言われたのはいいことだよ。あんなふうになってきたら、つきあわないほうがいい。向こうが追い出してくれてラッキーだ」

なんていうか、Tさん、ただのいじわるばあさんになっているんだけど、本人、気づいてないんだろうな。



あるときパパが言ったのだが。
「わしは善人と悪人の区別がつかん。だから、ふつう人が避けるような人間ともつきあってきた。さんざんな目にもあった。だから今、町内会の役員やってても、少々癖のある人間もつきあえるし、平気なんだと思う。」

たとえば私は、自分の言動で、相手がどういう気持ちになるかということが、わからない。それはTさんと一緒なんだ。人の気持ちはわからないのである。
だから、傷つけたの傷つけられたのってことばっかりだったが、人の気持ちをわかろうとして、苦しんでわかったことは、そんなことしたら、私は発狂するぞということだった。だって、人の気持ちって、いい加減きわまりないんだもん。ふりまわされたら、気が狂う。

おまえみたいに人の気持ちがわからないやつは人間じゃない、って言われたことがあるが、でも人間でなくても懲りずに、その後も生きてみて思うことは、人間関係のトラブルは、論理的であることと、倫理的であることで、減らしていける、ということだ。筋道を通すことと、利他的であること。
そうすれば、仮に何かトラブルがあっても、自分が気が狂わなくてすむ。

だいたい、人の気持ちがわかんないんだから、他人がどう思うかが歯止めになるということもないんだから、私たちみたいな、自閉症スペクトラムの人間が、欲深になったりエゴイスティックになったりしたら、見られたもんじゃないよと思うんだけどね。

「Tさん、自分で自分の気持ちを調律できなくてしんどいんじゃないの。畑ぐらい好きにさせてあげればいいよ。年齢も年齢だし。家のこと、子どものこと、悩みもいろいろあるんだろうし。畑がそんなに大事なら、思うとおりにさせてあげればいいよ」とパパ。

ええ、そうですね。