週末の少年たち

子ども会歓送迎会が午前中あって、午後は子ども会総会、とはいえ、役員ぐらいしか来ないのだが、役員の引き継ぎあるので行って帰る。

コクトーの「恐るべき子供たち」をくらくらしながら読んだのは、14歳だったなあと思い出して、あの頃、自分が大人になることがあるなんて、絶対思わなかったし、ほかの誰が大人になっても、自分だけはならずにすむ魔法がどこかにあるんじゃないかと、あの歪んだ、奇妙な、夢幻的な、痛ましいような、コクトーの小説のあちらこちらを書き写しながら、思っていたんだった。子どもは子どもの、重大で英雄的で神秘な現実に帰るのだと、なんかそんなふうなくだりを。

週末によく遊びにくるのは、ちがう学年の男子たちで、ひとりは4年生、もうひとりは6年生。今日はふたりとも来ていて、いま台所で私は小さくなっているが、すこしの間、外に遊びに行っていた3人が帰ってきて、さっき台所でジュースをわけあって飲んでいて、朝、6年生なのに歓送迎会に来なかったのはなぜかと4年生が聞いて、「だって、子ども会やめたから」と本人は冷静に認識している。「それは母さんの愚痴だし」。...
うん、まあ、大人には大人の都合があるよ。うまくやれる人もいるし、やれない人もいるし、いろいろあるし、いろいろあっていいんだよ。
と私は言いながら、気になったのできいてみる。登校班はどうしてる? 子ども会やめたことで、登校班が気まずくなるようなことがあってはいけないと、私は役員会で言ったんだけども。
「母さんの車で行く。行くときは行くけど、おれ、あんまり学校に行ってないし」。それはうすうす聞いてたけども。
さてそれで「大人になりたくないよ」と6年生言うのだった。
ほんとねえ。それは私も思ったよ。絶対大人になんかならないと、思っていたよ。
大いに共感すると、実にうれしそうに笑う。
なのに大人になってしまったよ。ひどい話だよね。どうしようかな。
うすうす気づいているんだが、私たちはなんとなく、気があう。

すると、「ぼくははやく大人になりたいよ」とうちの息子が言う。
そりゃまた、なんで。
「ぼくははやく大人になって、受験も仕事も全部終わらせて、退職して、ゆっくり余生を楽しみたい」
………。

ま、3人仲良く電車の模型で遊んでいる。このあとファミコンするとかしないとか、なんかもめてるけど。