書評 未来11月号に

ぱらぱらとめくっていて、チェルノブィリ、という言葉がふと目にとまり、
え、チェルノブィリ、と思って読んだら、親しい気持ちのする歌で、前後を見たら、なんだか見覚えがある。私のだった。 Photo_3
「未来」11月号に、飯沼鮎子さんが、野樹の歌集「もうひとりのわたしが(以下略)」の書評、書いてくださっていました。
ありがとうございます。
汲んでもらってうれしいです。



訂正ひとつ。「草葉書房」ではなくて「草場書房」です。
在庫あんまりなさそうですが、私の手元にはまだあるので、メールください。



チェルノブィリ
『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(子どもたちのチェルノブィリ)』は読むのがつらい。抽象的に理解していたこと、理解していたつもりだったこと、の具体的な細部を、子どもたちの作文は教えてくれるわけですが、その細部の痛みが、刺さる。
ま裸のたましいで、子どもたちは悲劇に触れてゆく、受肉する。

ほんとうに、子どもたちは(親たちも)病んで死んでいくのだ。具体的な、ひとつひとつの経過をたどりながら。

世界は、この子どもたちが差し出す痛みに、刺し殺されなければいけない。
刺し殺されれば幸いだ。

16年ほど前の本、8年後の作文。過去のようで未来のような。