つながっていると思う

17日のNGOまつりの準備にとりかかる。
いろいろみんな事情があって、人手がないけど、なんとかなるでしょ。
リサイクルバッグほか販売します。近くの人遊びに来てください。お手伝い歓迎。
平和公園のなかの国際会議場。

こんどの台風被害の緊急支援の募金箱もつくった。何もしないということも、できないと思って。
台風被害の写真を見ていたら、路上に死体が累々とあるような写真もあって、そこらへんを隠さないところが、日本の報道とはちがって、見るのも覚悟がいる。

家や仕事を失った人たちは、どこへ行くのだろう。
パヤタスで、私が出会ったのは、トンドのゴミ山が閉鎖されたときにトンドから来た人たち、それからスービックの米軍基地がなくなったときに、スービックから来た人たち。それから火山の噴火や台風の災害難民になって出てきた人たち。
パアラランの最初の奨学生だったレイナルド一家も、台風で家がなくなって、親類をたよって、マニラに出てきて、ゴミ山のふもとに住み着いたのだった。
もしかしたら、来年あたり、パヤタスにも、今度の台風で家をなくしたレイテやサマール島の人たちが来ているのではないだろうか。子どもたちも。

ずっと前だけど、阪神大震災のときに、フィリピンの小学生みんなが1ペソずつ寄付してくれたことを思い出したりしている。パヤタスの子らももちろん、小学校に通ってる子は1ペソもって学校に行った。あのゴミ山のスラムの子たちが。