危機意識

(第2回)福島原発に関する原子力資料情報室記者会見の録画をきいている。
きっと、何が起こってもおかしくないのだと思う。
これ以上ひどいことにならなければ、このまま終息できれば、どれほど幸いだろう。

不思議なのだが。
原発が非常事態だということは、最初の日にわかっていたことではないかしら。なぜそのときに退避させないのだろう。放射能が放出される前に。
ヒバクしたかもしれないと、不安になる人々を生み出す前に。
政府は、こういうことは、最悪の事態を想定して対処の仕方を伝えるべきで、スリーマイルやチェルノブィリで起こったことは、日本でも起きるかもしれないと想像すべきで、念のため、というような曖昧な言い方をして、まだ安全だ、というような気持ちにさせてはいけないと思う。
曖昧なものいいで、たぶん大丈夫だろうと思いたい気持ちに、安全の幻想にしがみつかせるやりかたは、結局人間を愚弄するものでしょう。
高木仁三郎氏たちが、原子力について市民が正しい情報を得ることができるようにとたちあげた原子力資料情報室の情報は、率直で(原発の設計に携わった人たちが、その危険を語っている)、その率直さがとてもありがたく思える。この率直さを政府はもってほしい。

危機はつづいている。
風のゆくえに気をつけて。
雨に濡れないように。外に出るときは口や鼻にぬれタオルをあてて、皮膚を露出しないように。
1985年、チェルノブィリの事故の夕方に、雨が降りそうだった。子どものために雨合羽を買う母親を見た。黒い雨が降るかも知れないし、小さい子どもは傘なんか持っていたって、ぬれるんだから。
チェルノブィリからどれほど離れているんだろう。半径20キロ程度ではないよね。
でもそれくらいの危機意識はあっていい。

近所のおじいさんは、原爆が落ちたとき、田舎に疎開していた。だから被爆したということにはなっていない。でも黒い雨は降ったという。そんなところまで黒い雨が降ったと、認められていないけれど。最近の手足の痺れは、あのとき黒い雨に打たれたせいだろうか、と考える。
60年以上たって。

おそれるべきと、思います。