けんかのしかた

たとえば夫婦喧嘩すると、
私の旧姓なんかもちだしてきて、
「○○の人間はみんなそうなんか」と言ったりするわけです。
むかつく。
○○が出身大学の名前になったり、出身地の名前になったりする。
すごくむかつく。
もし私が、たとえば朝鮮人だったりフィリピン人だったりしたら、
「朝鮮の人間はみんなそうなんか」とか
「フィリピンの女はみんなそうか」とか
言うんだろうな、と思う。

こいつゆるせん、と思う。
「○○の人間はみんなそうなんか」という言い方ができることが、
もうゆるせん。
自分の非は棚にあげて「そういう言い方やめえ」と怒鳴っている。
で、やめえと怒鳴られてやめるかっていうと、やめないからね。
言われるとむきになる、間違ってると思ったら、よけいにむきになる。

めんどくさいので、
アスペルガーだから、そうなんでしょうよ」
と言い返す。
これはいい。アスペルガーも千差万別、わたしたちはふたりともアスペルガー

いちばん大人なのは、ひょっとしたら子どもで、
「にんげんだから、しっぱいすることもあるよね、ママ」
とか言う。

「人間は同じ失敗を繰り返さないんだ」と相手はまだ何かいいたかったりして。
「私はくりかえすかも。それはしょうがないんだ。私だから」
くりかえすかもしれないと感じているのに、もうしません、とか、言えんし。

しょうがないのか。わかってて結婚したんだ、というあたりを思い出すと、あきらめて落ち着くらしい。

で、男がなんで怒り出すのか、私はいつも全然わかんなかったんだけど、わかんないのよ、ほんと。相手がアスペルガーでもアスペルガーでなくてもわからんわ。
でも、最近ちょっとわかってきたのは、ごめんなさい、を言ってほしいらしい、ということだ。問題は何にも解決してないんだけど、ごめんなさいと思ってなくてもごめんなさいを言うと、ひとまずおさまる人間の気持ち、というものがあるらしい。

ごめんなさいを言ってほしいなら、ごめんなさいを言ってほしいと言ってくれんとわからんわ。と思うけど。

でも昨日の怒りは、わかりやすい。机のまわりとか、本とか紙くずとか、あれこれの印刷物とか、ぐちゃぐちゃと積み上がってくずれて、また積み上げて、要するに、非常にうっとうしい状態なのが、がまんできなくなってきたんだな。子どもに、玩具片づけないと捨てるぞ、と言って、振り向いて、本も捨てるぞ、と言うんだった。ああ、捨てる気力があれば、片づいてるって。

ほっといて捨ててくれるんなら、捨ててほしい本もいっぱいあるけど、実際は、捨てないで怒鳴ってるだけだろな、それがうっとうしい。
ま、冷静に考えて足の踏み場ない。散らかしている私が悪いんである。しょうがない。片づけよ。