おしゃべり

学年最初の参観日。社会は歴史。弥生時代
去年も同じクラスだったMちゃんのお母さんはフィリピンから来た。まだ2年数か月しかたってない。娘は日本語をすごい勢いで覚えていったが、お母さんの方はそうもいかないので(いや、それでもたいへん努力してよく理解できている、と思う)何の勉強をしているか、わからない、というので、説明する、が、知る人は知る、私のpoor English. 毎年フィリピンに通っているのに、なぜそんなに喋れずにいて平気なんだと、ときどき驚いてもらえますけど、ほんとにできないもん、ほんとにできないのに、いま誰も助けてくれないので、がんばってみる、Japanのhistoryですよ、ぐらいは言える。ずっとずっと昔の。

子どもたち机のすみに、自分の努力目標を書いて貼っている。Mちゃんのお母さん、娘が何と書いているかわからない。「授業中におしゃべりしない」と書いてあるのだが、not マインガイ、って私言ってしまったなあ。 Mちゃんのお母さんのびっくりした顔。なぜ、フィリピン語。 マインガイは、うるさいの意味ですけど、おしゃべりならトカティブなのかな。どれが何語か、ええもう、よくわかんなくて。

そんなわけで素性をばらすことになり、その後の役員決めの懇談会も一緒にいた。
クラス委員は、私は1年のときにやったので、もうやらなくていいのだが、Mちゃんママは、学級委員がまわってきた。日本語がまだ難しそうよと私は言ったんだけど、これまでも外国から来た人もやっているからということで、いいかげんな通訳しながら私は不安ですけど、ふれあい活動のときにお好み焼きをつくりますが、みんな助け合いますから。

Mちゃんママとは、そのあとのPTA総会も一緒にいて、今は何の話ですかときかれても、そんなの説明できないし。not important for us. you can sleep. って私は言った。
娘はおしゃべりしないって書いていたが、親たちは眠るかわりにおしゃべりしつづけた。
Mちゃんのお父さんは日本人だが、娘が3歳のときに連絡が途絶えた。日本に来るつもりはなかったが、娘が日本で暮らしたいと言ったので、日本の父をもつフィリピン母子を支援する組織を探した。来日には10組の定員に300組の応募があったが、10組のなかに入ることができて、介護の仕事も紹介してもらって、ここで暮らすことになった。父親とは日本に来てから離婚が成立した。
おさない娘の一言で、40歳過ぎて、言葉もわからない異国で暮らす決意をする人もいるのだ。そんなふうな運命の決め方もあるのだ。私は、なんだかものすごく励まされた。

ところで、お好み焼き、何ですか。なぜそれをつくりますか。
島風お好み焼きを知らないと言うので、私、つくってあげます、って言ったら、Mちゃんママはシニガンスープつくってくれるっていう。シニガン大好き。シニガン楽しみ。