星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

ディーゼルしんかんせん

21日土曜日は、予土線を走る汽車を追いかけて遊ぶ。
松野あたりで、線路沿いで、汽車が来るのを待っていると、来た。

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トロッコ列車と新幹線とかっぱうようよ号。

写真、息子はなんかもっとこだわって、花と汽車と撮ってたな。そんで、もう菜の花はいい、と旅を終えて言ったのだった。
この日は菜の花ばかり見て、ディーゼル車の音ばかり聞いた。
芝不器男記念館も行った。私はここに来たかったの。おひなさま飾ってありました。

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道の駅でごはん食べて、江川崎まで行く。その近くの道の駅では、鉄道ジオラマがあって、息子がずっとそれを眺めていた。小さいころと何にも変わんないなと思う。飽きるまで眺めていた。アイスクリーム食べた。
私の悔いは、鹿肉のソーセージを買いそびれたことだ。あとで、と思って忘れた。

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江川崎の駅でしばらく遊んだ。父と一緒に来たのは、5年前かな。両手をひろげて、やじろべえみたいにゆれながら、レールの上を歩いたりしていた、子どもじみた、かわいらしい後ろ姿を見たのを思い出すわ。

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川に降りて、新幹線を待ってると、新幹線が来た。おもちゃみたいよね。しんかんせーん。
新幹線待ってる間に、クレソン見つけて摘んだ。菜の花とつくしも別の場所ですでに摘んでいて、つくしの袴も取っていたので、晩ごはんは、父の家(兄がしばらく借りている)で何かつくることにした。
帰って、兄に連絡して、一緒にスーパーに行った。カツオのたたき、のほかに、ふかの湯ざらし、丸ずし(おからのすし)も買った。なつかしいなつかしい。菜の花おひたし、つくしは卵とじ、クレソンはマヨネーズ炒め。
もうすぐに床がぬけてしまいそうな、古い家で、みんなで適当に晩ごはん。

   ふるさとや石垣羊歯に春の月  芝不器男

 

春にこっちに帰るのははじめてだよと息子が言う。いや、はじめてじゃなくて、赤ちゃんのときに一度、春に帰っているんだけどね。そのあとはいつも夏の帰省だったけれど、春にも、もっと連れて帰ってあげられればよかった。

こんなに歳月がはやいなんて。


22日、日曜日。広島に帰る。春の旅の終わり。

 

 

 

 

 

 

 

遺跡めぐり

くる日もくる日も、耳に入ってくるのは新型コロナウィルスのニュースで、ほんの10日ほど前のことを書こうと思うのが、ずいぶん前のことのように思えるけれど、今朝、兄から電話があったのは、愛媛で集団感染があったという話だった。葬儀での集団感染らしく、まあね、田舎で人が集まるって、葬儀だわ。

で、父の納骨終えて帰省して、のつづきの3月20日。朝から、父が住んでいた家のまわりの草引き。息子は、眠い、と寝ていた。なんにもしなかった。私と兄はよく働いた。すみっこに、桜草が咲いていた。

昔、母が、庭先にこの花を並べていたことを思い出すわ。あちらこちらの庭先で咲いていて、この季節がほんとに好きだと思う。辻邦夫の「春の戴冠」という本のなかで、フィレンツェで、ボッティチェリメディチ家のロレンツォが、永遠の桜草の話をしていて、15歳の夏休み、どきどきしながらその場面を読んだことを、いまでも思い出す。
私には私の、永遠の春が、あると思う。

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途中で、兄と買い物にいったついでに、子どもの頃に住んでいたあたりに寄った。するともうそこは、全然ちがっていて、40年前にあったボロ屋などとうになく、新しい家が建っていたが、隣にあった寺は、当時は住職もいたんだけど、みごとな廃墟。毎日眺めていた、お寺の楠を私は見たかったんだけど、それが伐採されていたのが、ショックだった。
私の秘密基地があった、裏山は、登り口がコンクリートになっていた。コンクリートの上まで階段をのぼると、どの木の枝をもって、どこに足をかけて、この斜面をのぼったかというのが、ふいにありありと思い出されて、自分ながら驚いた。そのまま登っていきたい気がしたけれど、兄を待たせていたので、思いとどまった。

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きれいな新しい家々と、舗装しなおされた道と、滅んだ寺と見ていたら、私たちはもう、別の時代の人間なんだなと、思ったなあ。春の昼下がり、幽霊みたいにそこにいた。

午後、兄と別れて、私たちはお城山に登ったり、天赦園に行ったり。
お城の壁、昭和の補修で父たちが塗りなおした壁の一部は、1月の大風で剥がれ落ちたまま。昭和20年の空襲のときに、家を焼かれて、この山に逃げてきて、ふもとの火事を弟たちと見ていたという話を、以前、父がしていたなあとか、思い出した。
このお城山から見る町のながめが好きだった。ここにいたいけど、出ていくしかないよね、と高校を卒業する頃、友だちとここで話したのだ。そのあと、一度も再会してない。どこにいるかもわからない。歳月って、容赦ない。桜ちらほら。

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天赦園には、息子が小6のときにも来た。池の鯉にえさをやると、その食いつきっぷりがすごいので、キャーキャー飛び跳ねて喜んでいたが、高校1年のいまも、やっぱりやりたい鯉の餌やり。ここの鯉、おもしろい。勢いで胴上げされてる鯉もいる。鯉は変わらないが、でも人間の子のほうは、もう飛び跳ねて喜んだりしない、にやっと笑うだけ。
ここの鯉のアトラクションは最高だが、ほかには、とくに何もないのだが、ぼんやり日向ぼっこして過ごす。遠くに、鬼が城連山。

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それから、海を見に行った。いつも、釣りをしていたところに行くと、いろんなゴミとか積んであった空地が、何にもなくなっているのは、大風がさらっていったんだろうな。天気がよくて、海が青くて、風が吹いて、気持ちがよかった。

ここで去年の夏に、父や叔父と一緒に釣りをしたのが、最後。

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あんなに釣りの好きだった叔父も、もう全然釣りをしないらしい。夜、会ったら、手に湿布を貼っていて、しきりにさするので、聞いたら、リューマチだって。
夜、兄とふたりの叔父と私たちと、焼き肉。店の支払いは、ここで働いた兄のバイト料からだなあ。ありがたく、食べた食べた。

そのあと、友だちに会った。マスクがないの話から、地元の人口減少の話から、これから大変よ、私たち、生老病死の、老病死がおしよせてくるよ、みたいな話。
友だち、翌朝、わざわざホテルまで、畑で採ったばかりのキャベツ、レタス、玉ねぎを届けてくれた。ありがたく。

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これは父が遺した遺跡だな。公園の大きなすべりだい。3歳か4歳くらいの私が、このあたりから、働いている父を見ていたはずなのだが、覚えていない。


 

 

 

 

 

菜の花の丘を越えて

地理が苦手だった。加えて、好奇心よりは気後れの強い子どもであったから、家と学校を行き来するより外の地域については、何にも知らないまま、郷里を離れた。
犬寄峠なんて、名前も知らなかったわ。
19日、朝ごはんを食べて高松のホテルを出て、宇和島まで帰ることに。息子はパパの車、私は兄の車、ふたりずつ乗って。高速が通って、子どもの頃から考えたら、信じられないほど近くなった。松山を過ぎたあたりで高速を降りて、菜の花の丘を見て、海に出よう、という予定で、犬寄峠を越える。

兄が安く買ったというナビは、前日、がたがた山道の真ん中で止まるという、とんでもない冒険をさせてくれたので、この日はスマホをもってる息子にナビをさせたら、これが。
旧道の狭い険しい道を走る。登り切ったあたりで、別の楽な道があったと気づいたわけだが、犬寄峠、佐礼谷の黄色い丘は、菜の花満開で、すばらしかった。ここには、海を渡る蝶々もやってくるそうです。

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それからヘアピンカーブを下って、海のほうへ。下灘駅に行きたいわけだが、駅の手前で急停車。ちょうど菜の花の丘のところを、1時間に1本だか2時間に1本だかの汽車が通って、カメラにおさめた息子は、偶然の運の良さを喜んでいた。近くの下灘駅は海が見える駅だが、そこそこ有名になったので、平日のなんでもない日なのに、人と車とこみあっていた。

海沿いを気持ちのよいドライブ、のはずが、急に曇ってきて、肱川沿いを走るあたりで、大雨。その大雨のなかで、兄の、昔の恋の話を聞いた。相手はその近くの病院で看護師さんをしていた、若いかわいい女の子で、一緒にこのあたりの山にのぼったり、宇和島城にのぼったりもしたらしい。で、彼女は病院の寮にいたので、送ってくるときにこの道をよく走ったとか、そういう話なんだけど、それいつ頃のこと?と聞いていったら、まだ母が生きていて、私が高校生の頃で……と、

ちょっと待ってよ、それは、うちに、借金取りからひっきりなしに電話かかってきて、ヤクザ来て、母が玄関で頭下げてた頃?
私が受験生だったけど、勉強どころでないから、夜は7時ころから寝て、真夜中になって電話もヤクザも来ない時間になってから起きて、朝まで勉強してって、頃?

すると兄はなんと。「うそやろ? 借金取りきてたか? 取り立ての葉書は来てたかもしれんけど」などというのである。
信じらんない。毎晩毎晩、30分おきに借金取りの電話かかってきて、3日おきにヤクザ来て、家じゅう、あんたのせいで発狂しそうになってたのに、知らない? 

まあそうか、本人はそこにいないんだから、知らないか。
知らないだけでなくて、デートしてた。
私が大学行く行かないで、父と大喧嘩して、金なんか出していらないから行くから、とか言ってるときに、で、夜中に母に起こしてもらったらある夜、耐えられなくて突然泣き出してしまったら、母は、私の背中を撫ぜながら、「兄もつらいよ」って言ったのよ、なのに本人は、かわいい女の子とデート? お母さん泣かせて妹泣かせて、デート? 信じらんない。

「衝撃の事実やなあ」と兄。
こっちこそ、衝撃の事実ですよ。涙出てきたわ。

夕暮れの雨のなかで、肱川の河原の菜の花の黄色が、ぼうっと浮かんでいた。

夜中に受験勉強してたら、兄がこっそり帰ってきて、「おなかすいた。おむすびつくって」って、私にのんびりした声で言ってたのは、
借金取りから逃げていて、すこしは後ろめたくて、そんな時間に帰ってくるのかと思っていたら。……ほんとにのんびりしていたんだ。もしかしたらデートだったんだ。

「ゆるせんな。だれや、そのばかたれは」と兄。「悪かった、許してくれ。40年前や、時効にしてくれ」などと言う。

兄が記憶していたのは、私が自分の金で大学に行くといっているのだから、行かせてやればいいと、父に言ったことである。父はかたくなに反対していたので。
で、自分の金、であるが、当時国公立はそんなに高くなかった。私は、入学金と半年分の授業料と、受験に行く旅費ぐらいは貯めていた。

それはもともと、私が中学生の頃から、兄が毎月私にくれていた小遣いをためていたもので、当時の中高生としては、私はたくさんもらっていたのだ。兄が賭け事で、サラ金(と当時言っていた)に手を出して、わが家が非道な取り立てに見舞われるまでは。
父を相手に金出していらないのタンカを切れたのは、その小遣いのおかげではあったから、
「功罪あわせてチャラや、時効や」
という話を終えて、宇和島に帰ったころには、雨があがっていた。

笑うしかないな。ああ、もう。昔からだけど、兄に対して、何かしら共犯者のような感覚になる自分が、不思議だわ。晩御飯の鯛めし、おごってもらう。宇和島にいる間のごはん、全部おごってもらう。

 

 

 

 

納骨と温泉と

父の葬儀を終えて、帰ってきたら、コロナ対策で学校は休みになり、学年末試験も流れて、息子は大喜び。ああもう、物理をやらなくていいんだ、とか、提出が4月なら、なんで通夜の後までノート開いて数学の問題解いていたんだ、とか言っていたが、そのあとすかさず、春休みの宿題がひとやまやってきたから、そんなに退屈もしなさそうだった。楽しくもなさそうだが。

それなら、ごはん作ってもらおうと、声をかけたら、いやがることもなく、いわれるままに、玉ねぎを炒めたりキャベツを刻んだりしていたが、一週間ほどで飽きたらしい。自分から積極的に料理しようなどとは思わないらしく、最大の発見は、母は、非常に簡単な料理7種類くらいで、毎日の食卓をまわしているということだった、らしい。
そうそう、簡単なことしかしてないよ。
簡単なことしかしてないが、息子を台所に立たせると、なんでもないようなことが、なんでこんなに難しいかと、それは私の発見。どうして包丁をもつ手首が、そんなに無駄にぐらぐらゆれるの。なんで、玉ねぎ切ってる間に、まないたが、どんどん向こうにずれていくの。
まあ、面白い。
おやつにたこ焼きも作って食べた。

春休みに納骨しようという話にしてたが、少し早くすることにして、18日から四国に帰ることにした。早いほうがいいのだ。今なら、父の残してくれたへそくりがあって、病院の支払いと納骨できるし、納骨のときに温泉旅行もできるはず。でもしばらくしたら、兄の手のなかで露のように消えるだろうから、いまのうちいまのうち。

……と思った私の判断は正しかった。

父はずいぶん前に、墓を高松のほうに移していて、いまは不思議なことに、弟がその近くに住んで、しょっちゅう墓参りに来ているらしい。石鎚SAで兄と待ち合わせ、墓園で弟と待ち合わせすることにして、18日早朝、パパと息子と私は広島を出発。いい天気で、しまなみ海道を渡るのは楽しかった。あちらこちら山桜咲いていた。

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午後、墓園で合流。手続き済ませて、最後に父の骨を見たのは私だ。墓をあけたら、すでに名簿では七人くらい、骨壺は5つくらいある、上の段はぎゅうぎゅう。弟が、骨壺の場所を、あれはこっち、これはこっち、親父とおふくろは並べて、と指示しているのが、なんかかわいらしかった。
祖父母と両親と、若くて死んだので私は知らないおじたちがいて、もう墓のほうがにぎやかそうだ。
あと、のこっている叔父たちと兄と弟が加わったら、もう絶対混沌、混沌、笑ってしまう、そっちが面白そうでいいけどな、また一緒に、釣りして花札して遊びたいけどな。遊びたいけどな。
でも、私はそっちに行かないんだろうな、
……でも、どこに行くんだろう。

兄と和解した弟は、そもそも人なつっこいやつだから、またなついてくるだろう。母が死んだあと、母の兄たちと父との関係は途絶えていたが、弟だけは、なぜか顔を出していたらしく、父が死んだことも、弟が吹聴してまわっていたとわかって、笑ってしまう。とはいえコロナ騒ぎだし、父の家の電話も止めたら連絡しようもないので、不義理を責められることもあるまいよ。

早いもん勝ちやな、と兄は言いながら、残った叔父たちの間を行き来している。

その夜は、レオマの森とかいう、温泉ホテルに泊まる。兄が、温泉と夕食朝食つき、というもんで。息子は、琴電に乗るか撮るかしたいというもんで。線路が近くにあるところ。
んで、案内の弟の車のあとをついていく。途中でうどん食べてホテルへ。息子と弟は、それから琴電を撮りに行った。

そういえば、パパと私の弟は初対面なのだった。どうよ、シンとリクは似てるでしょ。全然似てないけど、でも似てるでしょ。

弟は泊まらないが、飯ぐらい食わせてやろうよとチケット代余分に払う。お風呂もどうぞと言われたが、お風呂は……無理だな。
バイキングはカニが食べ放題ということだったので、ここにしたのだ。息子はエビを食べないので、彼はエビやカニは嫌いらしいと、以前私が言ったら、カニは食わせてもらったことがないと抗議しやがった。で、さあ食え、食べ放題だ、と皿をとってやった。
……で、生まれてはじめてかもしれないカニを、不器用にハサミを使いながら食べた息子が言うには、「カニカマのほうがいい」「面倒くさくないし」だってさ。
でも、昔、子どものころに、おいしいなと思って、夢中で食べたようなカニではなかったよね、たしかにね。

翌朝、早朝から起き出した息子は、今度は、兄に運転させて、琴電を撮りに行ったらしかった。面倒くさいので、私たちは朝食の時間までは知らんぷりで寝た。

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窓の下のテーマパークはコロナで休止とか。

風が吹いて

1月27日、宇和島にかつて経験したことがないほどの、突風が吹き荒れた。上の叔父の家の納屋は崩壊したし、父の家の周辺も、そこらじゅういろんなものが散らばったらしい。お城山の管理や観光案内をしている下の叔父は、お城の木が倒れたところに遭遇、小枝で頭を叩かれただけですんだが、あと数秒よけるのが遅れたら下敷きだった。
26本だか、倒木したらしい。こんなにひどい風なのになぜ門を閉めないんだと、市に電話したら、でも警報が出てないので、と困惑していたが、とにかく客を山から降ろした、とか。
その風のことを、忘れないと思う。その翌日、父が入院した。

手術のあと、「先生、わしは1週間ほど死んどったような気がする」と言ったらしい。死ぬ数日前には、兄が帰るときに「おまえが帰るということは、わしは死ぬということかあ」と言ったりしたらしい。
祖母が死ぬときに「わしはあと3日で死ぬらい」(らい、は未来推量か)と言って3日後に死んだらしいから、わかるのだろうな。

葬儀のあと、仕事があるので帰るという弟を送りがてら、兄と弟と私と息子で、和霊公園に散歩に行った。
すると立ち入り禁止。ここも、突風で大木が何本も倒れたのだ。信じられないような大木が根もとから倒れていた。
公園の遊具も撤去されていた。それらの遊具は、もう50年以上前、若かった父が、市の仕事を請け負ってつくったもの。管理のおじいさんが言うには、もう古くて壊れてもいたので、この機会に撤去したのらしい。
公園の遊具も、父さんと一緒に風にさらわれていった。いままでよく残ってたなって話だが。
一陣の風が吹いて、世界が変わってしまったのだ。父がいた世界から、いない世界へ。

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ただ、父がセメントでつくったゲレンデ状の大きな滑り台だけはまだ残っていて、子どもたちが滑りたがるので、そこは立ち入りできるようにしたらしく、小さい子たちが遊んでいた。たぶん、宇和島じゅうの子どもが遠足に一度は来る公園なので、誰もが一度はすべる滑り台。こわがって滑らなかったのは娘の私だが。

半世紀以上もこんなに愛される遊具をつくったことは、きっとあの世でも自慢していい。公園のまわりの、木の柱をかたどったセメントの柱も父がつくった。せいぜいここにきて、父を偲ぶことにしよう。子どもなので、その作品に、父の性質とか癖とかがにじんでいるのを、なんとなく感じるのだった。好きでもあり嫌いでもあり、だったけど。

去り際はとにかくあざやかで、仙人かしらという感じだったので、お父さん上手に死んだねえと、お父さんと話したいなあと思った。そのお父さんがいないというのが、死んだという意味なんだけど。

 

兄と弟(このふたり、通夜のあとに、けんかの続きのような和解をしていた。私も知らなかった弟の、過去と現在のトラブルいくつか発覚するが、そのネジのはずれっぷりは理解を超える。もう生きてるだけでえらいと思うよ)、私と息子で、鯛めし食べに行く。

 

葬儀の翌日、息子はひとりで広島に帰る。はじめてのひとり旅。アンパンマン列車で朝10時前に出発。夜7時に帰宅というから、遠いねえ。
息子を帰したあと、兄と私は、支払いほか、種々の用事を片付けて、父の家の近く、親しかった人たちのところに挨拶にまわる。お見舞いに行ったけど、親族以外の見舞いはできないと言われて、病棟に入れてもらえなかったのよ、と聞く。

コロナのせい。

お通夜のあとに、下の叔父から、「クルーズ船から降りてきた人のなかに、この町の人がふたりいて、検査の結果も出ないうちから、飲み屋に行ったりカラオケに行ったりしているから、気いつけえよ、と知り合いの飲み屋から電話がかかってきたから、気いつけえよ」という電話がかかってきていた。

木がたくさん倒れたというお城に兄と登った。あちこち立ち入り禁止。カンザクラが咲いていた。それも半世紀近く前だろう、このお城の壁の塗り替えも、父と上の叔父の仕事のひとつだった。

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上の叔父を誘って、温泉に行く。食堂で、さつま汁を食べたかったが、ないので、しらす丼食べる。(さつま汁は別の日に別の店で食べた)
男湯の客の噂話で、クルーズ船から降りてきたのは、どこそこの島の人らしい、いまのところ陰性らしいけどな、と聞いた、とか。

それから数日後、クルーズ船とは別の、隣町の女性の感染が、ニュースになるんだが。

 

私たちには、偏屈なところもあった父だが、地域では、穏やかないいおじいさんだったらしい。近所のおじいさんが、死んだと聞いて、うそやろー、と叫んだとか、大家のおばさんが泣きだしたとか。近くの空き家空き地の草引きをせっせとしていたことを、近くの人たちが口々に言ってくれるとか。

家のなか、すっかり何にもなくなっていたが、もしも私が泥棒だったら、ほんとにうれしいだろうと思ったのだが、引き出しの底に父が隠していたお金を見つけた。兄が通帳あれこれの探し物をしたときは気づかなかったのに。
黙って持って帰ろうかと思ったけど、さすがに良心がとがめるので、兄と山分け。病院の支払いもあるし。こんなお金残すなら、もうすこしましなところに住めばよかろうもんを、とか、父さんらしい、とか、話したことだった。

ありがたいお父さんでした。本当に風とともに去ってゆかれました。

金曜日、兄が松山まで送ってくれる。途中で通りがかった梅津寺パークが変わっていて、みかんパークみたいな建物あって、そこでは、蛇口からミカンジュースが出てきました。お金払うけどね。おいしかったよ。

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愛の夢

弟には15、6年ぶりくらいに会った。前に会ったのは、息子がまだ赤ちゃんのとき。弟の大きな声におびえていたのを思い出すけど。いまは弟も補聴器を入れて、自分の声の調節もできるようで、普通に会話できた。息子にすればはじめて会うのだが、彼が言うには、「こっちの親戚はゆるい」。まあ、みんなどっかネジがないよね。

それにしても女っけのない一族で、兄も叔父たちも離婚しているし、弟もひとりだし、ひとりもの男子ばかりが4人、それに私と息子で、集った親族はそれで全部。
こんな時期だから、葬儀の広報も出さなかったのに、通夜も葬儀も、聞きつけた人たちが何十人か来てくださって、生まれ育った土地で生きて死んでいく幸福を、すこし思った。私にそのしあわせは、ないな。
通夜のあと、お礼のお菓子を渡すのに、上の叔父が、糖尿で倒れてからあと、なかなか体を動かさなくなっているのが、せっせと菓子を袋にいれていたのが、かわいらしかった。

通夜のあと、兄や叔父たちと、用意してもらった膳で飲み食いしたのだが、兄がチラシ寿司がまずいと言い、死んだお祖母ちゃんのはおいしかったね、と私も思い出して話していたら、ばあちゃんのは宇和島一よ、と叔父さんたちが言うのは、なんでも祖母は、ちらし寿司や卵寒天を、天赦園の料亭から、頼まれてつくっていたほどらしい。初耳。なんと私たちは、料亭の味を普段に食べて育つというぜいたくものだったのかー。
お正月やお祭りのときに祖母が作ってくれた卵寒天を、私は大好きで、そのせいで、そのほかの卵寒天が不味くて食べられない、というふうになっているのだが。

それから、下の叔父と弟が、話し出したのが、入れる温泉と入れない温泉の話。刺青があっても入れてくれるところも、ないではないらしい。弟は昔刺青を入れた。叔父の別れた息子も入れたらしい。ばかが、いきがって。みたいな話だが、うちの息子の前でそんな話するな。

地方によって、刺青のスタイルも違うとか、叔父が、風呂屋で、刺青もんもんのおじさんに、そんなん入れとったら怖がられるやろとかなんとか話しかけたら、わしはあんたが恐ろしいわ、ふつう、こんなん見たら誰も寄ってこんが、と言われたとか。私も笑うけど、いいけど、
それから弟が、わざわざ腕をまくって、うちの息子に「こんなん、絶対いれたらあかんよ」というのであった。見せるな。

それで私は息子に言った。内緒な。きみは賢いから、どんな話が誰に対して内緒かは、わかるよね?
息子、刺青談義のふたりから、小遣いもらっていた。

弟は父の財布を中身ごともらって、姉ちゃんに借金あるから返す、と言う。全く記憶にないけど、返してもらう。

思えば、母が死んで弟と別れたのは彼が16歳のときだった。いま息子が16歳で、背格好と声が似ている、せいかどうか、私は自分でもあきれるほど、シン(弟)とリク(息子)の名前を呼び間違え続けて、とうとう、どちらを呼んでも、どちらもが振り向いてくれるようになったのが、おかしかった。呼んだあとで、いまどっちを呼んだっけ、と考えたり。ま、どっちでもいいから、これ運んで、みたいな。

昔読んだ仏教説話のスリハンドクの話を思い出した。スリとハンドクの兄弟は頭が悪くて、自分の名前も覚えられなくて、スリと読んでも、2人が返事をし、ハンドクと呼んでも2人が返事をする、それでもお釈迦さまのお話をよく聞いて、しあわせになりました、という話でしたっけ。

もしかしたら、スリとハンドクには頭の悪い姉がいて、しじゅう呼び間違えるけど、スリもハンドクもやさしいので、どちらが呼ばれてもどちらもが返事して、姉をしあわせにしてやりましたって、そういう話かもしれん。

男ばっかりなので、叔父たちが帰ったら、飲み食いの後片付けは私がするのだろうなあと思っていたのだが、風呂に入ってる間にきれいに片付いていた。弟が、さっさとコップを洗いはじめたので、兄も手伝って、片付けたという。すばらしい。

「ひとりが長いからな、片付けるようになる。そうしないと、すぐゴミ屋敷になるからな」とシンが言う。何もしないで、スマホ見ているだけのリクは、すこしシンを見ならって欲しいが、その前に私が見ならえって話でもある。

そして2日間、シンとリクの2人の男子の名前を呼んでるだけで、あたりが片付いていくのは、なんか楽しかったわ。

私はたぶん、弟の名前を呼べるのが、楽しかった。

 

父は最近の写真を残していなかったらしく、ようやく兄が探し出したのが、40年ほど前のもの。いきなり若くなってた。たぶん、母が生きてたころのがよかったんじゃないの、と眺めていたら、家族が破裂する前の子どもの頃のことを思い出した。

 

朝、出棺の前に棺に花を散らす。30年ほど前、腹膜炎で危篤になったときに、父はきれいな花畑を歩いたそうだが、今度こそは本当に歩いていった。

焼き場の都合で、火葬の後、葬儀。兄が、喪主挨拶の途中で泣き出して葬儀っぽくなった。血の繋がらない父子の、半世紀以上のあれやこれやの愛憎の果ての、最後の日々が、こんなにも穏やかで、思いやりに満ちたものであったことに感動する。終わりよければ全部良しでしょ。享年88。満87。

葬儀のはじめに、孫はおじいちゃんにピアノを弾いてあげました。ショパンエチュードと、リストの愛の夢

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宇和島城のカンザクラ。

 

父の杖 

なんだか、あっという間だった。父の葬儀を終えて、昨夜帰宅。

 23日の午後に息が止まった、という知らせが来た。電話の向こうで兄が涙声。突然といえば突然。医者は転院先を探していたから、お花見くらいはできるかと思った。私は26日に帰省のつもりだった。
その日兄が見舞って病院を出たあとに、窒息して息が止まった、と連絡がきたらしい。診断書は胆管癌。死因究明の解剖は、断った。
ふと、11月生まれの母は11月23日に逝き、その39年後、2月生まれの父は2月23日、2人とも23日だと気づく。たぶん父はその日がよかったのだろう。愛のような、意地のような。

弟に電話する。弟の連絡先は私しか知らないので。それだって、この12月に数年ぶりに弟が電話をかけてきたので、知ることのできた番号だった。あのとき弟は、家に帰って、父に会っているはずなので、それもよかった。父のほうはというと、久しぶりすぎて、それが自分の息子という確信がなかったらしく、「あれがシンだったのかあ」とぼけたことを言っていたらしい。

電話すると、給料日前で、帰る金がないという。どこかで聞いた話だと思う。20年以上の昔、東京にいた頃、友だちが、父が死んだが帰る金がないと借りに来た、のを返してもらってない、とつまんないことを思い出した。兄と連絡とるように言う。このふたり絶交状態が長くつづいているのだったが。どちらも、金がなくてゆきづまってのなりゆき、感情的なものではないので、この機に和解するでしょう。

息子は、「じいちゃんの息が止まったとは聞いたけど、死んだとは聞いてない」と真顔で言う。え? 息が止まったら死ぬよね? 死ぬ、を受け入れたくない気持ちは、あるかもね。翌日の数学の試験を心配するが、じゃあ、じいちゃんの弔い合戦で、勉強して100点とるか、本物の弔いに行くか、好きなほう選んでいいよと言ったら、もちろん本物の弔いに行くという。アンパンマン列車つき。

翌朝、フェリーで松山まで。いい天気で青い海で、葬儀屋と打ち合わせ中だという兄から電話。花はどうしようか。
父は見るからに極貧の暮らしぶりだった。床の半ば抜けたボロボロの家に住んで、何の罰ゲームか、毎月、年金の6万5千円だけで生きて行こうとしていて、着るもの食べるもの、これ以上切り詰められないほどきりつめて暮らしていた。
だから、父がお金をもっているなんて誰も思っていないし、兄は葬儀代の心配をしていたが、通帳には葬儀代ぐらいはしっかりとあり、それなら、それを使ってやろうということになり、最後に、祭壇の花をどうするかということになって、12万違うって恐ろしいけど、いいよ、花を育てるのが好きな人だったし、最後に花ぐらい派手に飾ろうよ、ということに。
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港に、兄と下の叔父が迎えに来てくれていた。それから松山の伯父の家に向かう。この伯父が90歳になるのだが、電話をかけても途中で物も言わず切れてしまったり連絡がとれないので、自宅に行く、ということで、兄たちも十年ぶり以上らしく、道に迷いながら。
伯父は生きていた。なんといえばいいか、ものがあふれた部屋の奥のベッドの上に座ったまま迎えてくれて、話しだしたらとまらないのも、以前の通りだが、はじめて会う私の息子に向かって、昔の宇和島の殿様の家来の、どういうつながりになるのかわからないけれど縁戚の人の、それがどういう話がわからないけれど、小さいころに世話になった人たちの、まあとにかく謎の話をえんえんつづけるのだった。
兄と叔父は、これで、弟が死んだことなんか聞いたらショックですぐ行くぞ、というのでそのことは言わないことにし、これから私の息子を大学の見学に連れて行くのだとか、適当な理由をつけて、その場を辞した。
伯父さんに会ったのは、20年前に祖母が死んだとき以来。話しながら、伯父さん泣いていたが、祖母に最後に会ったときも、泣かれたなあと思い出した。またそっくりな顔なのだ。たぶん、もう最後かな。自衛隊の人だったので、そのはったりで、兄の借金がらみでやってきていたヤクザを、追い払ってくれた、40年前。そのことを、当の兄はずっと知らなかった。

そこらじゅう菜の花が満開。

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伯父の家を出たあと、弟から電話。宇和島に帰ったけど、ひとりで斎場まで行く勇気が出ん、とまたかわいらしいことを。上の叔父さんが斎場にいるから行けよ。もうじき、私たちも帰るよ。

斎場に着くと、ちょうど、死者の化粧などが終わったところだったのだが、白い装束を着て横たわっている人は、なんか、仙人っぽかった。仙人がそこで休んでいるかしらと思った。弟と息子と、兄だったか伯父だったか、で死者を棺に移した。
白いおだやかな顔で、ほんとに仙人みたいに見えるねと言ったら、「生きてるときから、仙人みたいな暮らしだったし」と息子。たしかに。

愛用の、仙人の杖を入れてやる。