星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

帰省 夏の長門峡

帰国の翌々日は、山口に帰省。おばあちゃんが尻もちをついて腰の骨が折れたとかで、そんな時期に帰省しても大丈夫なのかと思ったけど、コルセットして痛みはないそうなので、帰省する。
夏休み、まだ高校1年だし、大学のオープンキャンパスに行くことなどは、まったく考えてなかったわけだが、1年生もどこかオープンキャンパスに行って、レポート出せという夏休みの宿題。で、夏休み直前になって調べたんだけど、フィリピンに行くし、地元の大学は、宇和島の帰省と重なるし、それなら、山口の帰省をオープンキャンパスに重ねよう、ということになった。

息子は下心があって、電車のローカル線に乗りたい。一時間ほど離れた町にあるキャンパス。ところが地元の大学に来てくれればうれしいのはおじいちゃんで、早朝からはりきって、車で送ってくれるのだった。
帰りは遅くなるし、保護者はすることないから帰ってね、と別れて、私と息子だけ構内に入った。私はすることもなくて退屈だったが、息子は研究室にも連れてってもらって、楽しかったらしい。

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環境のよさが気に入った。空が広いし、のどかだし、風が吹いて気持ちいいし、広島みたいにごみごみしてないし、ここがいいなあ、と言っている。ま、これからいろいろ考えなさい。というか、勉強しなさいよ。
せめて帰りは、電車に乗るつもりが、質問会が長引いたせいで、電車の時間に間に合わず、次の電車は遅くなるので、あきらめて、大学が用意したシャトルバスに乗った。
ま、このあたりの電車はまた乗れるから。

来年は、信州大学オープンキャンパスに行こうか、などと言う。それはさ、オープンキャンパスに行きたいじゃなくて、どこへ旅をしたいか、という話になってるよね。
青春18きっぷかな。

翌日は、いつものように、SLやまぐち号を追いかけながら、帰る。何度撮ったでしょう、長門峡駅

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夏の長門峡。水はながれてありにけり。

パアララン 5

8月5日月曜日。台風のため、クラスは休み。とはいえ、台風は遠くて、このあたりは普通に雨が降っているだけなのだが、政府が休みと決めたら休みなのだった。クラスがないなら、マットレスを片付ける必要もないので、息子、起きるつもりがない。こんこんと眠っている。

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風に裏山(ゴミの山)の草が鳴る。すばらしいグリーンフィールドだよね、と笑うんだけど。

イエン先生とマイク先生、レイレ先生がやってくる。ジョン・ポールとジェイペロウも。
ジェイペロウは奨学生のひとり。絵の上手な女の子。彼女、デング熱にかかって、しばらく休んでいた。一週間熱があったそうだ。どこの蚊に刺されたのか、わからない。

ヒューマンネイチャーという会社があって、自然化粧品などを扱うフィリピンブランド。貧困地域出身者を多く雇って、生産者に倫理的な価格を払う、人々の幸福を追求するという志ある会社で、『だれも置き去りにしない』という、フィリピンのNGOについて書かれた本にも紹介されていた。ベイビー先生の長女のジョイはもうずいぶん長く、この会社で働いている。
そこで、この会社が扱っているオーガニックコーヒーを、買って帰ってバザーで売る。原価そのものが安くないんだけど、ジョイが従業員割引で買ってくれる。「かずみがコーヒーいるってよー」という話は次から次へとリレーされて、在庫の確認、割引価格の知らせが届く。ジョイがお店にいる間にってことで、グレースとイエンが出かけていく。グレースはそのまま、仲間たちとのミーティングに行き、イエンが重たいコーヒー抱えて帰ってくる。
コーヒー、売れるかはわからないけど、それが心配だけど、残ったら我が家で飲めばいいので、それはそれで贅沢。

グレースのミーティングは登山仲間たちと。登山と植林が、いま彼女のミッションだ。19年前、グレースが心臓病の手術をするときに、日本で寄付を集めたんだけれど、助けてくれた皆さまありがとうございます。とっても頼もしいお姉さんになって、レティ先生を支えています。私たちのごはんも作ってくれた。

 コーヒーが届いたので、荷物まとめる。滞在最終日。

午後、先生たち奨学生たちは、子どもたちのノートの準備をしている。子どもたちのノートに、一冊ずつ、なぞって書かせるための文字や、単語と絵、さらに、ぬりえのための絵をかいていく。(コピー代も高いので、予算がないとこうなるかという…)
できることは、手伝う。息子、ノートつみあげて、飛行機や鳥や魚やゾウさんの絵をかきつづけた。

台風。このあたり雨も止んで風も止んで、何もないが、イロイロでは船が高波で転覆した。ニュースに、同級生の死を泣いている少女の姿が映る。毎年このような映像を見る気がする。
台風は、ルソン島の北の海を横切ろうとしている。飛行機、台風が来る前に、飛べるだろうか。夕方になって、ジュリアンから連絡。翌朝私たちを空港まで送ってくれることになっていたのが、都合がつかなくなったらしい。ということで、グレースとグラブタクシーで行けばいいよとレティ先生言うが、グレースは帰ってくるの?

みんなが帰っていったあと、息子は、レティ先生に、1万円を差し出した。「1万ドルはないけど、1万円ならあるよ」と思いついたのだ。去年、息子がレティ先生から送られた言葉は「インディペンデント」独立しなさいってことだったが、今年は「テンサウザンド」1万、だな。

グレース、深夜1時に帰ってくる。その30分ほど前まで起きていた息子は、グレースが帰ってこなかったら、ぼくたちはどうなるの?と心配していた。それはもう、あれですよ。前の道を、野良犬の糞に気をつけながら荷物運んで、ジプニーの通りに出て、ジプニーに乗って…って、考えるだけでぞっとしますけど、レティ先生はちゃんと手配してくれるよ。

8月6日、午前5時半、私はレティ先生にスポンサーさんへのメッセージ書いてもらって、グレースは息子に、挨拶しておいで、って声かけてくれて、息子はレティ先生に挨拶して、「しっかり勉強して。またおいで」って言ってもらって、グラブタクシーに乗り込んだ。
外はもうにぎやか。6時ころから午前のクラスの授業ははじまるので、通りは登校の子どもたちであふれている。それから街なかに仕事に行く人々。すでに渋滞がはじまりかけている。フィリピンの朝ははやい。

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高速道路からビル街が見えるあたり、ゲームのシムシティの街っぽい。

午前7時半、空港に着く。グレースと別れて(ほんとうにほんとうにありがとう)、空港内に入ったが、なんとなんとなんと、福岡行はキャンセルっていうのだ。
きたよ、ほんとにキャンセルだよ。
受付のお姉さんは、「明日」とそっけないが、いやいやいや、台風の進路を考えたら、明日はもっと飛ばないでしょうよ。食い下がる。日本のどこでもいい、どこか別の場所に着く便がないかしら。関西でも名古屋でも東京でも。福岡便の30分前にフライトの関空行に乗れることになった。ぎりぎりセーフの感じ。
よかったよー。私もうペソも円もないもんね。日本に帰ったらカード使えるけど。

で、無事帰国。しかし日本暑い。

帰りの新幹線の切符を買っておかなくて正解。関空に降りてうれしかったのは、息子。どの電車に乗って帰ろうか。できるだけ安く、しかし、あまり遅くならないうちに。
私鉄を乗り継いで神戸まで。乗る機会のない路線に乗れる。息子は一番前の車両に行く。すると、そこには、息子と雰囲気のよく似た、鉄道ファンの男の子たちがいるのだった。元町で降りたので、中華街で、ザーサイ買う。それから姫路まで出て、新幹線に乗り換えて帰る。
パパ、もよりの駅まで迎えに来てくれる。

次の日の午後まで眠った。

Thank you so much dear friends!

パアララン 4

深夜まで、表で男たちの話し声がうるさい。そういえば、私の叔父のひとりが、声の大きな人だよなあと、思い出したりする。この異国の路地にも、私の叔父のような男たちが、大きな声をあげながら、肉体労働しながら生きているわけだ。日曜早朝、また男たちの声がうるさいのは、たぶん、路地で闘鶏をはじめている。鶏の声、翼のぶつかる音。ところでこの朝、私は胃痛。
一応薬はもっているが、レティ先生が出してくれた薬を飲む。フィリピンの薬はやたらによく効く。やがておさまった。

レティ先生の末息子のジェイとカティ夫婦に、2月に待望の赤ちゃんが生まれた。結婚10年目くらい。男の子。で、レストランで食事しましょ、ということで、レティ先生とグレースと、グラブタクシー呼んでおでかけする。どこに行ったのだかわからないのだが、きれいなビル群のどこか。グリーンマンゴーのジュースが美味しかった。紙製のストローだった。いいね。

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自然分娩だった? 陣痛は何時間だった? 生まれたとき何キロだった? いつ頃歩いた? そんな話をしていたら、息子が小さかったころのこと思い出したけど、彼が生まれてからの日々、私はほんとに楽しかったと思ったなあ。テオが来て、カティもこれから、毎日どんどん楽しいと思うよ。

それから、パヤタス校の天井修理の話、先生の給料を上げてあげなければいけないという話。息子はジェイと、ピアノと鉄道の動画の話をしたそうだ。英語上手だよとほめてもらっていた。

風が強いので、台風が来るねと話して、別れた。夕方、パヤタスに帰ったころから、私は熱っぽい。氷を抱いて寝る。
こういうこともあろうかと薬は持ってきているので、そのうち熱はひくだろう。そして実際、翌朝にはすっかり平気だった。
ずっと以前、暑くて我慢ならなくて、毎夜毎夜、氷を抱いて寝ていたこともあったし、帰国の日に熱を出して、空港でチェックされたこともあったし、、、と思い出したりする。

台風が来るから、帰りの飛行機はキャンセルだよ、とレティ先生が言う、グレースが言う、毎年、言うよね。
息子が真に受けて不安がる。キャンセルになったらどうなるの。どうもならない。キャンセルになったという経験をするだけ。それはそれで、いい経験になると思うよ。

経験。親が子どもに何を伝えられるかは、とてもおぼつかない。同じ場所にいて、同じものを見ても、同じものを受け取ってくれるわけではない。
パアラランに連れて来て、ほんとうに得難い、敬愛すべき人々のことを、私は伝えたいのだけれど、ほんとうに大切な何かは、きっと息子が、彼自身の人生を生きていくなかでしか、わかってゆかないことだし、人間の尊厳は、そういうことでもあるのだろうなと、思う。

パアララン 3

8月3日。深夜まで通りは人の声でにぎやかだ。人の声の鎮まった未明から早朝に豪雨。夜、激しい雨の音を聞くのは、疲れる。私の右側では、息子が軽い寝息をたて、私の左側では、犬のウィスキーが、寝息をたてている。ぐーすー。やがて、雨にも負けず、鶏の鳴き声。

土曜日はどうするか。私は、去年行けなかったナショナルミュージアムに行けないかな、と提案してみたけれど、週末の街なかは、トラフィック(交通渋滞)だし、こんなに雨が降ってはいろんなところが水浸しだし、運転したくない、とジュリアンが言うので却下。で、手軽なところで、ジュリアンが私と息子をショッピングセンターまでお買い物に連れていってくれることになった。
もうね、マニラの街はいつでもどこでもトラフィックなので、どこへ出かけるのも、ストレスのかかることだった。
SMに行く。20数年前、郊外の空地のなかにできたショッピングセンターだったが、いまは、あたりは大きな街になっている。近くにはLRTも建設中。

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まず、バザー用とお土産用のドライマンゴーを探してうろうろ。それから私のサンダルを探してうろうろ。パパのお土産を探してうろうろ。ごはんはフードコートでピザ食べた。子ども向けのトレインが走っていたり、メリーゴーランドや観覧車がまわっていたり、休日に家族が遊びに来るような場所になっている。小さい子たちを遊ばせられる。
それから、息子は本屋をはしごして、何を探していたかというと、英訳のコミックス。高橋留美子のを1冊見つけていた。本、安くない。
本の品揃えはあんまりないが、どんな本屋にも、いろんな種類があるのが、バイブル。本とは、まずもって聖書のことだったのだなあと、思う。

SMから帰ると、パヤタス校では、イエン先生とレイレ先生が、テラスで洗濯。レティ先生一家の一週間分をまとめて洗濯。レティ先生は車いすだし、グレースもクレアアンも忙しいので、手伝ってもらっているのだろう。
キッチンでは、リサ先生が書類を整理している。リサ先生はようやく試験に受かって高校の先生になったが、いまも休日などはパアラランに来て、パアラランと外部とのマネジメントや各種書類の作成などを担当している。

新しい仕事はどう?と聞いたら、「とってもストレスフル」だって。
フィリピンの学校は、午前と午後の二部制。小学校も高校も、午前のクラスなら、昼には帰るし、午後のクラスなら、昼から登校する。
リサは高校で音楽を教えている。午前のクラスが担当なので、早朝6時からクラスがはじまり、1日に4クラス教えて、午後1時ころ終業。クラブ活動などは、ない。
教育改革はすすんでいて、4年制だったハイスクールは、4年間のジュニアハイスクールと2年間のハイスクール、あわせて6年、国際標準になった。リサの学校は1クラス60人から70人いて、14歳や15歳の難しい年ごろで、くたびれる、そうだ。
たしかに。私の息子も15歳だが、一人でじゅうぶんストレスフル。70人もいるなんておそろしいよ、と笑う。
クラスの人数は多い。キンダーガーデンでさえ1クラス40人50人いるよと言う。
そういえば、以前エラプ校の先生だったロシェル先生は、今は公立のキンダーガーデンの先生をしている。パアラランは、子どもたちだけでなく、先生を育てることもしてきたのだ。

とっても静かで、とってもシャイな私の息子の話。日本ではあんまり気にならないが、ここではそのシャイさ加減は、気にかかる。去年はジェイに「目を見て話してよ」って言われていたし。
ここにいると、パアラランの奨学生たちも、日本の学生たちも、積極的にコミュニケーションをとろうという意欲のある姿を見せてくれるので、それをあたりまえのように思ってしまうわけだけど。
気づいた。私の息子はまだ、たった15歳なのだ。不器用ながら、それでも彼なりの自然さで、ここに滞在していることは、それはそれで立派かも。そして、みんなが、それぞれに自然体でかまってくれるのがありがたい。

私の息子はシャイだけど、私が15歳だったころよりは、ずいぶんずいぶんましだと思いいたった。あの頃、私は、コミュニケーションもへったくれもない、教室でも本で顔を隠していたし、人とのやりとりは、基本、苦痛だった。本のなかに引きこもっているような子どもだった。そうでした、私が知った人に会っても、挨拶もしないことを、母が嘆いていたと、母の死後となりのおばさんから聞かされたわね。

 夜、グレースが、圧力鍋で、牛肉の骨のスープをつくってくれた。

 

パアララン 2

8月2日。未明、豪雨。雨の音で目が覚める。横に、何か気配があるなと思ったら、グレースの犬のウィスキーが寝ていた。雨季なのだ。気候変動はグローバルに起きていて、フィリピンの気候も昔とは変わってきたとレティ先生は言ったが、雨季は雨季なのだ。ときどき激しい雨が降る。滞在中、連日夜中に、スコールがきた。

早朝、ジェシカが娘のチェチェを抱いてやってくる。マジョリー(ジェシカの母、レティ先生の姪)からの差し入れのパンシット(米麺の焼きそば)とルガウ(おかゆ)もって。
チェチェはしきりに指差しをしていたから、1歳半くらいになったのか。私がはじめてジェシカに会ったとき、ジェシカは2歳だった。マジョリーはパアラランの先生をしていて、ジェシカを抱いて子連れ出勤していた。あれから24年が過ぎたのだ。世代が移った。「昔、ジェシカがチェチェみたいだったのに」

早朝、雨だったせいで、子どもたちの数は少ない。12人ほど。この日のテーマは、フィーリング。気持ちをあらわす、言葉の学習。英語とタガログ語で。
この日のアシスタントの奨学生、ジョン・ポールは初等教育専攻の4年生。
エラプ校に行くというと、レティ先生がマイケルを案内につけてくれる。ひとりで行けるのだが、私だけでなく息子もいるし、しかも夫は日本にいるので、いろいろ気を使ってくれるのだった。「パパはどうしているの」「パパは日本で、レイジー(怠けもの)な息子とクレイジーな妻がいなくて、平和だと思うよ」と話しては笑ったが。
(実際は、去年も今年も、パパは息子のことが心配でしょうがなかったらしい)
ジプニーに乗る。ジプニー大好き。窓から、ごみの山の全景が見えるポイントがあるのだが、反対側にすわったので見えなくて残念。でも、見えても、すでに、ただの山にしか見えないだろう。すっかり草におおわれて。

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 エラプ校まで30分ほど。
今年エラプ校の先生は、責任者のベイビー先生のほかに、二人しかいない。レイレ先生とマイク先生。クラスがどれだけあって、生徒が何人いて、ということを、インタビューしてメモしてね、と息子に頼んだが、息子が、言い終わる前に、すべてを察したマイクが、次々話してくれるが、これが、息子は聞き取れない。訛りが強い、そうだ。
ああなるほど。英語が絶望的に苦手なまま、こんなところに通うことになった私は、英単語もタガログ単語も区別つかないまま、文法もないまま、必要単語を並べて察してもらって、なんとなくやりとりしているが、、。
マイクが、必要事項全部、メモしてくれる。すばらしい。
2人の先生(と奨学生1人か2人)で、78人の子どもたちを見ている。午前中に2セクション、午後1セクションの計3セクション。

午前8-10時 アップル・セクション 3-4歳 25人が登録。

午前10:30-12:30 オレンジ・セクション 4歳1か月-4歳5か月 25人が登録。

午後1:30-3:30 バナナ・セクション 4歳半-5歳 28人が登録。

レイレ先生は英語と理科、マイク先生は、算数とフィリピン語を担当。ベイビー先生や奨学生たちがサポートする。という体制。カリキュラムはパヤタス校と一緒。
とにかくそれで、2校あわせて138人の子どもたちを受け入れている。
工夫に工夫を重ねて、というほかない。

子どもたち、自分の名前の書き取りの練習をしていた。先生がかいてくれた点線をなぞる。

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ベイビー先生の孫のPJという男の子3歳が、私の息子のあとをついてまわる。息子、去年は、「ぼくは小さい子とどうやって遊んでいいかわからない」と困っていたが、今年は、ふたりで、ミニカーを走らせたり、ペットボトルのキャップを投げたり、それなりになごやかに遊んでいた。

日本で、バザーで販売するために、ジュースパックやお菓子の袋でつくった小物を仕入れて帰る。エラプ校の3階は、お母さんたちが小物をつくる作業所として使われている。雨のなか、ベイビー先生が母親たちに連絡して、4人ほどが、商品をもってきてくれる。私も予算がなくて、ほんとに少しずつしか買えなかったんだけど。
商品の作製には、母親たちの自立支援ということで、日本のNPOハロハロさんが取り組んでいる。インターンの学生たちは、休日に奨学生たちに日本語を教える、ということもしている。


お昼ごはんは、ベイビー先生がバングースのフライを出してくれた。
ベイビー先生の次女のチャイリンは、髪を切るのが上手で、ベイビー先生もレティ先生も、チャイリンに髪を切ってもらっている。私も、ここでチャイリンに切ってもらって帰る。

エラプ校の隣には、レティ先生の次女のジンジン一家が住んでいる。庭に息子のライジェルがいたので声をかけたら、なかからジンジンが出てきてくれた。ジンジンは、私の息子に、あなたのママはとても親切で、フィリピンの子どもたちを長い間助けてくれているよ、ときれいな英語で言ってくれる。が、その話は息子の耳を素通りして、彼の耳に残ったのは、「ガールフレンド5人くらいできるよ」と、ジンジンが言ってくれたことであった。
しかし、女の子に「ハロー」も言えない男子が、どうやってガールフレンド……と私は思う。

帰りは息子とふたり、ジプニーでパヤタスに帰る。
帰ると、ロイダさん来ている。私が注文を出す、リサイクルバッグのほとんどをつくってくれているのはロイダさんだが、5月にお母さんが6月にご主人が亡くなったと聞いていたから、とても製作どころではないと思っていた。でも、9割がた仕上げて、もってきてくれている。一緒にロイダさんのところへ。亡くなった夫は、去年来たとき、生きている虫たちを、食べるか、とすすめてくれて、私の息子を仰天させていたが。入り口に小さなスロープができているのは、車いすのためだったのだろう。目が見えなくなってもいたらしい。

学校に戻って、それからイエン先生とジョン・ポールと一緒に、ダンプサイトに行く。ゴミ山は閉鎖されているが、周辺はまだ、以前のままで、エラプ近くのゴミ山とここを行ったり来たりしながら、ゴミ回収の仕事を続けている人も多い。

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写真だけ見たら、きれいな緑の草原だが、ヤギたちがいるこの草原も、山も、全部ごみの堆積でつくられた光景なのだ。かつて、ここにどんな光景があったか、私はありありと思い出すんだけど。ゴム草履のままの子どもたちが、ゴミを拾っていたことなんかも。たちのぼる無数の蠅たちのことも。臭いもぬかるみも。
雨上がりで、そこそこ道もぬかるんでいる。
みじめさ、の成分は、ひもじいこと、寒いこと、それに、ぬかるみのなかをあるく気持ちもそうだな、とふと思う。
ふもとの集落をまわる。マニラで、最も貧しい地域のひとつ、そのごみ山のすぐ傍らの集落からも、子どもたちが通ってきている。夕暮れ、狭い路地で、子どもたちが縄跳びしたり、メンコしたり、遊んでいる。「昭和の時代は、日本もこんなだったのかな」と息子が言う。きみのおじいちゃんが子どもだったころにはね。

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路地の後ろの山は、ゴミの山。

私には、まだ、すこしはノスタルジアにつながるところもありそうな光景だが、息子には、ひたすら不思議な奇妙な景色のようだった。夕暮れに、路地で子どもが遊んで、少年たちがバスケットしたり、大人たちがすわりこんでおしゃべりしたり、という景色。

それから、バランガイ(行政の最小単位)センターに行く。
パアラランの最初の奨学生だったレイナルドがここで働いている。ちょうどパトロールに出ているというので、オフィスに入ったら、オフィスの奥に鉄格子があって、なかで男が寝ている。牢屋?と息子がきいたら、イエス、とイエンが答えたけど、とりあえず、留置しているみたいかも。
オフィスにいたスタッフの女性は日本語ができた。姉妹が、神奈川にいるらしい。彼女自身も3年間日本で働いていたらしい。
レイナルドが帰ってくるまでに、マジョリーのサリサリストアに行くことにした。途中で、ジュリアンの奥さんのモッチと娘のサビエンヌに会った、サビエンヌは小学校1年生になった。背が伸びて眼鏡かけて、なんかすごく大人びた。

マジョリーのことを、去年会ったのに、息子は覚えていなかった。でも、おやつにバナナキューもらったよ、と言うと思い出していたが。ジェシカはいまダンキンドーナツで働いている。妹のエイエが、店の仕事やジェシカの娘の世話を手伝っている。
レイナルドは、よく通学時間に、通りでパトロールをしているよと言う。レイナルドがバランガイで働きはじめたのをきっかけに、レイナルドの弟妹たち4人ほどもバランガイで仕事を得たらしい。25年ほど前、田舎の家を台風で失って、マニラに出てきて、ゴミ山のふもとに住みついた一家だった。兄弟はたしか8人ほどいた。レイナルドはパアラランで勉強を再開して、大学は首席で卒業した。
バランガイセンターにもどると、レイナルドが戻ってきていて、パアラランまで、パトロールカーに乗せて送っていってくれるという。おお、すばらしい。
レイナルドのバイクに先導されて、私たち4人パトロールカーに乗って、ふもとの集落のなかを抜けて、パアラランまで戻る。

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レイナルドは3人の息子と1人の娘がいて、娘はいま小学校1年生。以前パアラランに通っていたが、際立って賢い女の子だったので、とても印象に残っている。

 

一度、家に戻ったレイナルドが、野菜の料理をもってきてくれる。見た目、つくだ煮っぽい。葉っぱをココナッツミルクと謎のスパイスで煮込んだもの。昔、レイナルドが料理を作ってくれたことが何度かあるが、なつかしいレイナルド・テイストだ。ココナッツミルクの料理。


夜、レティ先生と、学校の経費の話など。フィリピン経済はずいぶんよくなっているよね?と言うと、「そう言われてるけどね。私は全然そう思わないよ」と言う。然り。この地域の貧困はあいかわらずのようだし、何よりパアラランの困窮はとても切実。電気と水代もあがって、学校の諸経費の支払いが、ほんとうに厳しい。
どんなに少なくても、1万ドルはなければ、学校の運営は成り立たない。そして、とにかく先生の給料をあげて、壊れた屋根をなおして、新しい扇風機もいるし、採光の悪いのもなんとかしたいし、、、と考えると、あと1万ドルは欲しい。というような話をしていて、長い間、支援してもらったけれど、亡くなってしまったスポンサーさんの話なんかもしていたんだけど、どういう話の展開だったのか、私の息子が大人になったら、寄付してくれる、という話になった。1万ドル。
すると息子、そんなの無理、とか言うこともなく、えええ、と驚きもせず、「10年待て。だから元気で長生きしていてください」とレティ先生に言う。それから「1万ドルか。きついな」とぼそっとつぶやいているのが、なんかおかしい。

 

 

パアララン 1

7月31日、息子とふたり福岡空港からフライト。午後6時半頃、マニラ着。日本よりずっと涼しく、でも空気は湿気を含んで重い。空港の外で風に吹かれて待っていたら、グレースが迎えに来てくれた。グラブタクシーで、帰るという。スマホで登録しとくと使えるらしい配車システム。30分ほど待っていたら、タクシー来た。
渋滞。ラジオからはバスケットボールの実況中継。2時間以上かかってパヤタス着。レティ先生、起きて待っていてくれた。キッチンのいつもの場所で。
ジョリビーのドライブスルーで買ったハンバーガーとチキンとライス食べる。息子、ハンバーガーとチキンは大丈夫だが、ライスは無理、と言う。去年もジョリビーのライスは無理だった。翌朝私が食べることにする。
いつものように、教室で、テント型の蚊帳のなかにマットレス敷いて寝る。天井のヤモリが鳴く。外では真夜中まで、少年たちが遊んでいる。バスケットしていたり話している声が響く。それからバイクの音もする。眠れない。ようやく静かになったなと思っていると、もう鶏が鳴きはじめる。
朝起きた息子は、足をたくさん蚊に刺されている。なぜ?同じ蚊帳のなかで寝たのに。私は無傷。
その後も、同じ場所にいて、私は刺されず、息子は刺された。アルコールや虫よけローションやカトル(蚊取り線香)出してもらうが。……デング熱にならなくてよかった。

グレースが朝ごはんの用意してくれる。イエン先生がやってくる。
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今年、パヤタス校の、朝のクラスは9時から11時。3-4歳の29人が登録。
まず、歌ったりお遊戯したり。それから色の学習(この日はピンク)とぬりえ、おえかき。レティ先生も教室に車いすで出てきて、子どもに声掛けしている。それから、子どもたちがテレビの教育番組のアニメを見ている間、イエン先生はノートチェック。それからおやつ、休憩のあと、言葉の学習。この日はタガログ語のiからはじまる言葉。私も覚えた。ibon イボン 鳥。11時。子どもたちは、さようならの挨拶をして、迎えに来た母親たちと帰っていく。
今年、パヤタス校の先生はイエン先生ひとり。途中で、奨学生が来てアシスタントをする。マイケルは今年からカレッジに通っている。専攻は農業。

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去年までは給食があったが、今年はない。奨学生をサポートしてくれているスイスのグループが支援してくれていたが、今年は給食の支援は断った。先生が少なくて、給食を作る人手がない。小さい子たちばかりなので、食べても吐いたりするし、食事のケアはなかなか大変。それに、子どもたちは自宅からおやつをもってくる。
(その分を、先生の給料や、学校の電気代や備品など自由に使わせてもらえるといいのだが、そう簡単ではないみたいで、いまのところ、学校の資金不足を補ってもらえるような話にはなっていない。)
つまり、先生たちの給料をあげることができない(公立学校の教師の3分の1~4分の1しか払えていない)かわりに、給食の仕事を減らした、というところ。
ちなみに、レティ校長は、無給。息子たちのサポートで身の回りのことはやりくりしている。去年のクリスマスはお金が足りなくて、先生たちに払うボーナスが準備できなかった。例年、一か月分のサラリーをボーナスとして払うのだが、できなくて、息子のジェイが、なんとか2000ペソずつ、先生たちに出してくれたらしい。
ダニエル先生は、こんなにも薄給では家族をサポートすることもできないので、パアラランをやめて、いまは商店で働いている。

午後のクラスは1時から3時半。4-5歳の31人が登録。
最初に歌。それから出欠をとる。いない子は、他の子が「欠席!」と返事している。
色の学習。この日はピンク。母音aeiの発音の練習と復習。iではじまる言葉。
午後から来ていた新しい奨学生のグエンが、子どもたちにibon(鳥)のお話の絵本を読み聞かせ。グエンは初等教育専攻の2年生。お話、とっても上手だ。それから、Iiの文字を書く練習。あっというまに、ノートいっぱいにIiを書く子もいれば、鉛筆を持つのがむずかしい子もいる。子どもたちの文字は、それぞれに不思議な暗号に見えて面白い。イエン先生とマイケルとグエン、それから私の息子も、子どもたちに手をそえて、一緒に書いている。Ii。
ひとり、お母さんがクラスにいて、クラスの活動に入ってゆけない男の子の傍らで、サポートしていた。その様子はとても他人事と思えないが、私の息子は、ノートに「ぼくに似たやつが2名」とメモしていた。

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そういえば、去年、午後のクラスにいた、私の息子にほんとによく似ていたアイヴァンは、午前のクラスだった1年目は、教室を歩き回ってまったくじっとしていなかったが、2年目はクラスの活動には参加しなくても、教室で落ち着いて過ごせるようになり、それからすばらしく成長して、しっかりした子どもになってパアラランを卒業、公立のキンダーガーデンに通っている、という。

3-5歳の幼児教育の大切さは、このあたりの親たちにも周知されてきたのだろう、5歳になったら公立のキンダーガーデンに行けるのだからそれでいいじゃないか、というふうにはならなかった。レティ先生の話では、資金難なので、パヤタス校を閉鎖してはどうかと、息子が提案したが、このあたりに、3-5歳児を受け入れる施設は、パアラランともうひとつ、たった2校しかない。もうひとつのほうは、1日に3セクションもうけて、子どもたちを受け入れている。パアラランは午前午後の2セクション、60人で精一杯だが。閉じることはできない。この地域の子どもたちにとって必要だから。

ずっと以前、私たちが支援をはじめた25年前もレティ先生は同じことを言っていた。「お金がない。でも子どもたちが来るから閉じられない。」
シンプルである。この人は全然変わらない。パアララン・パンタオ、今年開校30年。

クラスのあと、放課後の教室で、イエン先生と奨学生たち、明日のクラスの準備。それから掃除。5時頃、帰っていった。
パヤタス校にいるときの私たちの食事は、イエンとグレースが、交互につくってくれた。息子、家庭科の調理の宿題を、アドボとシニガンスープにしよう、と思いついた。少しだけ慣れてきたフィリピン料理。レティ先生にレシピを聞いてメモしていた。

彼は、夏休みの宿題をひとやま抱えてきているが、野球中継もない、インターネットもない環境のなかで、さぞかし進むだろうと思ったら、全然。
息子が言うには、空気が違う、質感も匂いも、まわりの言語も、物音も違う、食べ物も違う、彼は去年に続いて2度目の滞在なのだが、五感全部が衝撃を受けて、それを耐えているのが精いっぱいで、疲れてだるくて、宿題どころではない、らしい。夜は、電子辞書読んだり、まんが(日本の漫画の英訳コミック。絵本の棚に1冊あった)読んだり。それでも、英語の宿題は、滞在中に終わらせていたか。

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教室の天井は穴が開いている。去年よりひどくなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休み!

夏休みになって、はや1週間。
午前4時50分になると、向かいの森のセミがいっせいに鳴きだし、鳥が鳴き、夕暮れになると蛙も鳴く。にぎやかだ。ムカデを2匹、ゴキブリを5匹ほど見つけて殺した。畑のブルーベリーが食べきれないほど採れる。

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三者懇に行くと、成績とか見せられましたけども、数学とびぬけて悪いのに、担任は不思議なことを言った。「彼が数学ができないという印象はないのです。なのになぜ、試験で点数が取れないのだろうと」「答案はびっしり書いているのに、正答ではないようなときがあって、見ていたら、他の数学の先生もきて、名前をみて、彼なら、何か別の解き方を発見したのかもしれない、というのでふたりでずっと見て、やっぱり違うか、ということがあったんですけど」って、それは何の誤解でしょうか。
母の目からは、頭のどこかが雑で、ざるのようで、そのざるから、数字が消えていくのだとしか見えないんですけど。怠け者だし丁寧さに欠けるし。それで成績よかったら不思議だけど。
息子、学校ではしっかり猫をかぶっているらしい。

月曜日、夏休みのボランティア活動があって、平和公園周辺で、外国人観光客に英語でガイドをするというもの。集合時間は10時なのに、早朝6時に家を出た。
で、何をしていたかというと、久しぶりの市内で、早朝から、市内電車の撮影をしていたらしい。いろんな種類の電車走っているので、被爆電車とか京都の市電とか、たぶん1時間半くらいは電車眺めてしあわせだったのだろう。夜、パパとふたりでビデオ再生して眺めていたわ。えんえんと電車が走っているだけの映像を。
で、ガイドのボランティア、1時間半ほどのノルマを果たしたあとは、友だちと鉄道模型で遊んで帰る、と。

息子、毎日、カープの試合ばっか見てるけど。夏休みの宿題と休みあけの試験の心配は、私はもうしないからな。いまいましい野球だが、甲子園、宇和島東の出場が決まって、それは私はたいへんうれしい。

フィリピン行きの準備をばたばた。いまから寝て目が覚めたら出発します。息子連れ。来週帰国したら、そのあと山口に帰省、そのあと、宇和島に帰省。
怒涛の夏休み。

暑中お見舞い申し上げます。