他人の青春

新年も、もう1か月過ぎようとしていて、はやいなあ。
年末に、息子が帰省してきたのが、青春18きっぷで2日かけて帰ってきたのはいつもの通りだけど、ちょっと心配な感じだった。頭皮をひっかいてかさぶたになってるし。

疲れ果てながら、自分が疲れていると気づかない、そして何も手につかない自分が不可解、という状態なら、私も身に覚えありすぎる。

わりとあたたかい冬だなあと思っていたけど、寒い寒いと、息子は言う。
きみは南の国からかえって来たんだよね。渡り鳥だな。
郷里の兄から、じゃこ天とかまぼこ届いて、まあまあお正月。

1日、息子と一緒に映画に行った。去年も行ったな。「窓ぎわのトットちゃん」は、いい映画だった。ポップコーンもお正月のぜいたくのひとつ。映画が終わって、スマホを見た息子が能登地震のニュースに気づいた。
この寒い時期に、つらいことが起こった。

2日、電車でどっかに行った息子は、風邪ひいて帰ってきた。ゆっくり休めばいいのに、電車に乗らないと死ぬとばかりに、出ていって。
中高の同窓会は出席しないつもりだったらしい、最初から。成人式は、日程あわないし、出席しない。
私もそうだったけど。きみは出席してもよかったんだよ。男子はスーツで事足りるのだし。

あとで同窓会の写真、友人たちのインスタのを見せてもらったら、女の子たちが着飾って、きれいになって。その数日後には成人式の着物も着るわけで、いやいや、ひるむ。私はひるむ。

自分の成人式の日に、昼から深夜まで働いていたのは覚えている。着物姿の若い子たちが次々くるから、水やら料理やら運びながら、結婚式かなと思って、ああ成人式かと思い至ったときの、奇妙な気持ち。おんなじ二十歳だけど、向こう側にいる人たちのことが、見当もつかない、あちらは異星、さもなければ私が異星。

 

家族で車で鹿児島まで行く。息子も運転するので、パパは楽になった。
風邪と頭痛鼻水。息子の部屋でぐうたら過ごす。でも、たまて箱温泉には行った。開聞岳見ると、果てに来たことの満足感あるよね。開聞岳みながら露天風呂のぜいたく。

去年、バス停ができたので、鹿児島市内からバスで行けるようになったらしい。
石蕗の花は秋と思うし、菜の花は春と思うけど、ここではいまごろ一緒に咲いている。

道端で不思議な看板を見かけた。
「密航・密輸の発見にご協力を」と書かれた指宿警察署の立て看板。

「密航とかあるのかな?」と私が言ったら、「あるだろ。その昔はポルトガルとか」とパパ。
いつのポルトガルよ。

 

青春18きっぷの残り2枚で、パパと肥薩おれんじ鉄道に乗りにゆく。フリーきっぷを買い足すと、どれだけでも乗れるのだ。朝、鹿児島を出て、熊本まで行って、夜、帰る。

昼、天気がよかったので、海の青さが、すばらしかった。帰りは夕焼けが。

熊本城は地震のあとの、崩れたのを見て以来。石垣をいまもなおしていた。楠の大木に会いたかったのが、あたり整地中で立ち入り禁止残念。
八代で、おれんじ鉄道乗り換え。八代の駅で鉄道のカレンダー買って、ちょうどそこで、八代亜紀が亡くなったことを知る。八代の人だよね。またひとつこころぼそい感じがする。

出水は、ツルの飛来地だけど、ここに出水があるとは知らなかった。来年の楽しみにする。1日中がたんごとんゆられていた。窓からの風景見ていたら、久しぶりに、子どものころの暖かい冬の、おだやかなお正月を思い出したりした。

がたんごとんゆられているのが、楽しかった。この路線はすごくいい。夏に片道乗って、また乗りたかったの。そしてまた乗りたい。

 

広島に帰ってきたら、寒いね。

そして忘れずに、雪も降った。

高校生のとき、修学旅行ではじめて行った東京で、一度だけ会った人の名前をふいに思い出し、この世いやですね、検索なんかできる。ま、わかんなくてほっとしたんだけど。修学旅行で遊びに行った、とある編集室の話は、たどれた。有名になった人、亡くなった人も。ずいぶん年上と思っていたけど、まだ20代30代だったのか。

あれやこれやの、他人の青春を、思ってみる、など。