息子が幼稚園のときに義父母さんと一緒に来て以来だから、15年ぶりくらいなのだと思う。こんなに近いのに、なんて遠かったんだろう。
松江の2日目の夜は、ご飯のあと、私は大学時代の先輩に23年か24年ぶりぐらいに会った。でも何にも変わってなくて、不思議な感じだった。歳月はどこへ。
公認心理師の資格を取ったらしく、理解が深くて、話が早かった。いまは退職して両親の介護。たまたまショートステイの日だったので会えた。
変わらない人がいてくれる、うれしさ。
私も、発達障害こじらせ組だろうなあと思う。おかげで、貧乏を余儀なくされているけれど、貧乏人には貧乏人の戦略もあれば、開き直り方もある。にしても、よく生き延びた。
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ところで。
「リエゾン」というドラマ、私たまたま見て、原作の漫画も読んで、あああ、っと叫びそうになったんだけど、オウム返ししてるASDの女の子、死んだお母さんは、お化けになって遊園地にいると思う女の子、あの子、私だ。この話、あとでまた書きたい。私には私があたりまえなので、自閉症でもなんでも、いまさらいいんですけど、無駄にしんどかったのは、たしか。考えると、悔しい。
発達障害の子、いまは10人に1人、らしい。15年前は50人に1人、ぐらいだった。これからもっと増えると思う。いじめが増えたり、虐待が増えたりしているのと同じで、発見するまなざしができたということなんだけど。発達の凸凹のスペクトラムという話なので、だれでも凸凹はあるから、線引きができることでもないけど。わからずに放り出されたら、ほんとしんどい。障害は、人間関係の関係の部分に立ち現れるけれど、一方的に責めを負わされるのが、こちらだから、キツイのだ。
いまは。会いたい人にしか会わなくていい感じだから、幸せだ。年をとるっていい。あれこれ言う人がいない。若い頃、なんであんなに四方八方、叱られたり憎まれたり責められたりしなければならなかったか、はるかな悪夢。
ASDの若い女の子は、ほんとにしんどいと思う。世の中危険すぎるし。ドナ・ウィリアムズが「自閉症だった私へ」で書いたことは、特別な話ではない、と思う。彼女が書いてくれたので、私は書かなくてだいじょうぶ。
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会わなかった20数年のあいだに、私は結婚して子供を産んで、成人まで育てた。
上手に育てたよねと言ってもらってうれしい。20年間、遊んで過ごしただけだけど。ほんっとに遊んで過ごした。
まわりに障害児が多かったので、そして私は、その子たちに支えられて生きてきた感じがしていたので、自分も障害児を産むのだろうという気がしていた。で、それを言うと、たいてい男はひるむので、私は子どもを産まないのだろうなあと思っていた。
私が産むものならなんでも、喜んでくれるのでなければ、産みたくないし。
ところが、私は障害児を産むだろうと言っても、全然平気な男がいたもんだ。
ふうん、あたしを母親にしようっていうのはいい度胸じゃない、あんたたちの度胸に免じて産んでやる、と思った。
かくして、なんかしあわせな、自閉スペクトラム家族ができた。
ここまでは、上出来。
私が先輩んちに遊びに行ってる間、息子は、島根大学に進学した中高の同級生の下宿に遊びに行って、日付が変わる頃になって、宿に帰ってきた。なんか、楽しそうだわ。
16日は、息子は青春18きっぷで岡山まわりで帰るという。私たちは、温泉津温泉
温泉、気持ちいい。なんだこれ、って感じの看板。