春の旅 宍道湖や傘おばけ

春。が来ているんだが。
1か月、何していたかしら。息子がですね、専門科目ひとつ再試にかかって、それが筆記と口頭試問で、筆記はともかく口頭試問が、なんかちぐはぐなやりとりになったとか、気まずい沈黙が自分の落ち度に思えて仕方ないとか、落単したらどうしよう、留年したら(毎年1割くらいは留年するらしく)奨学金が止まる。たちまちすべてが立ちゆかなくなる、と、おびえて、
私たちも金策どうしましょうねえ、みたいな話はしてたんですけど、
(毎年こんなにはらはらさせられたら、たまんないよね)
結局無事受かったらしく、あの子はこころよく、貨物船に乗って、屋久島に旅したらしい。森林鉄道を見に行った。

一年が過ぎた。家を出てひとり暮らしはじめて、バイトして、九州と四国と旅して、車の免許とって、単位もなんとかとって、なかなかがんばったんじゃないでしょうか。

3月になって、青春18きっぷで3日かけて、帰省してきた。髪長くなってた。野良犬みたいに汚れて帰ってきた。3日間着の身着のままだったみたいだ。
友だちと街に遊びに行ったり、ゲームしたりで過ごしていた。片付けてほしいものもあって、この古い玩具、処分してよければ処分するけどっていったら、遊びはじめたな。がたんごとん。電車のDVD見たり。古いのは珍しいから捨ててはいけないんだってさ。片付かん。

それから、鉄道写真撮りに山陰に行くと言い、家族旅行になった。山陰は15年ぶりぐらい。まだ幼稚園のころに、義父母さんと一緒に旅行して以来。途中まで、息子の運転。私は、このまま小さなおばあさんになってしまおう。

14日。出雲の、どこかのあぜ道で列車の通過を待ち、駅でそばを食べ、松江まで。宍道湖の夕焼けに間に合った。

15日、息子と米子で別れて、あの子はがたんごとんを撮りに、どっかに行くんでしょう、私とパパは、鬼太郎に遊んでもらいにゆく。境港の水木しげるロードには、昔、5歳まで暮らしていた家の向かいにあったお菓子屋さんみたいなお菓子屋さんがあって、あのころの私が好きだったゼリービーンズを売っていた!あの極彩色の。5歳の私がお店に行ってゼリービーンズもらって帰ると、あとから、母が代金を払いに行った、らしい。半世紀ぶりぐらいに買って食べた。魔法の味がしたわ。

いちばん古い夢の記憶は5歳の頃で、夜の町を母と歩いていたら、お化けの一群がやってきて、母と私は、道端の壁にたてかけてある畳の裏に隠れたんだけど、見つかって、母が、お化けたちにここをのぼれと言われて、梯子をのぼっていく、そのまま高い高いところで動かなくなってしまって、下から私が、おかあさんおかあさんって呼んで、泣き声に驚いた母に起こされて目が覚めた。

あの夢のなかの傘お化けがいた。おまえに、会いたかったんだよ。
ぬりかべは、左官だった父を思い出しますね。少しは手ほどきしてもらえばよかった。小学校のとき、仕事の現場に行って、やらせてもらったら、あまりの難しさに、私にはできないんだと思い込んでしまったんだけれども。

それから海岸に出て、遠くの大山が夢のようにきれいで、幻のようだと思い、あの山が幻なら、私たちもまた幻なのだが、5歳の夢がわたしの記憶のなかにしかないように、人生というものも、私しか覚えていない夢のきれぎれのことかしらと、たよりなく、でもときどき、その夢のなかに、こんなきれいな光景が挟み込まれていたらいいかなと、思ったりした。