南へ

ようやく朝夕肌寒くなって、長袖探したけど、衣替えはまだ。ああ、いろんなことが、まだ。

夏の旅の話を終わってしまおう。青春18きっぷの残りがあるので、9月10日まで使えるので、まず福岡まで行った。街なかの喫茶店が昭和っぽかったのが、なつかしい感じがした。会いたかった人たちに会えて、一泊して、翌朝、博多からまず鳥栖行に乗って、本を読んでいたら、なんと、電車はまた博多に戻っていた。終点に着いたらしばーらくは動かないもんと思っていたのに、すぐに引き返したんだな。そういえば、途中で向きが逆になった気はしたんだけど、気のせいかと思ったんだけど。とにかくやりなおし。
でもそれで、八代からの肥薩おれんじ鉄道が夕方になり、海に沈む夕日が見れたからよかったわ。

  逢はむというそのひとことに満ちながら来たれば海の円(まろ)き静まり 
                         志賀狂太

志賀は石牟礼道子の歌友で、水俣に会いに来たときの歌。水俣を通り過ぎるときに思い出した。狂太は人吉の山の中で服毒自殺。

  まぼろしの花邑(はなむら)みえてあゆむなり草しづまれる来民(くたみ)廃駅
                         石牟礼道子

来民は、狂太の出身地。死後十年ほど後に訪れたらしい。そして歌との別れ。
きっとふたりともが抱えていた、この世への違和感。なぜ、とわからないけれど、なにか根源的な。下駄履きサンダル履きで海を見ていたのだろうなあと、若い頃の石牟礼道子の写真を思い出したりした。

夜、鹿児島の息子の下宿に着く。パパと息子は、車で帰ってた。
翌日、青春18きっぷが使える最後の日、まだ余ってたので、私とパパと、宮崎に行くことにした。宮崎ははじめてかも。青島。ああ、昭和の新婚旅行ごっこ(私は新婚旅行というものをしたことがない)。面白かった。マンゴージュースおいしかった。

翌日は友だちと映画見てしろくま食べて、

その翌日は家族で桜島の道の駅で、ようやくカンパチ丼にたどりついた(いままで何度も売り切れで食べられなくて残念だったのだ)。港から近い温泉が故障中なのでバスで別の温泉に行く。おばあさんたちが、野菜おいてったり買ってったり、おしゃべりしてるのが、なんか妖精みたい。親しんだ土地で、親しんだ人たちといっしょに老いていける感じが、いい。

郷里を出て行くことを考えたのは仕方ない、と思う。田舎の高校生はそうなる。そうして出て行った先から、また出て行くことになり、気づくと、どこにいても、いてはいけない場所にしかいない、かりそめにしかそこにいない感じ。私はどこでどうやって、落ち着いて老いるのだろう。ま、落ち着かなくても老いるけど。

その次の日も家族で、もう息子の運転で車に乗るのも平気になって、たまて箱温泉。海に向いた露天風呂、右に開聞岳、左に奇岩。誰もいないわ、私は裸で、海は青いわ、すごいわ。

 

愛媛に帰省したのからはじまって、あとは青森から鹿児島まで、岩木山、富士山、桜島開聞岳まで、見てきた夏だった。気がすんだ。

友人のみなさまに、心から、心からありがとうございます。

おうちに帰って、パアラランのニュースレターの作成発送、がんばった。フィリピン、もう4年行ってない。最初に会ったとき、5歳だったグレースが、10月5日が誕生日なんだけど、いま中国で働いているらしいんだけど、もうあのときの私の年齢を超えていると気づいて、驚き。屋根の上のバイオリン弾きの、サンライズサンセットが、耳にもどってくるわ。
レティ先生にものすごく会いたい。私でさえ、さびしい。グレースがどんなにさびしいかは、想像もできない。