貧窮問答の歌

びんぐもんどうのうた、と読みます。
いうまでもないけど、万葉集山上憶良の歌。
小学校の社会の時間に習った記憶がぼんやり。

「「貧乏」などというテーマは憶良以外に万葉歌人のだれもとりあげないどころか、近代にいたるまで、のちの歌人もほとんどうたっていません。(略)ところが近代の小説になると、いわゆるプロレタリア文学のように「貧乏」は一大テーマとなります。そうした点からも憶良はきわめてめずらしく「現代性」をもった歌人というべきでしょう。」
(『悲しみは憶良に聞け』中西進

この本、タイトルがいいな。著者は、憶良は、朝鮮半島生まれの在日歌人であろうという。ざっと目次を見ると、「在日・帰国子女の悲しみ」「都会人の悲しみ」「インテリのかなしみ」「ノンキャリア公僕の悲しみ」「貧乏の悲しみ」「病気の悲しみ」「老いの悲しみ」「望郷の悲しみ」「愛と死の悲しみ」と悲しみ尽くし。この悲しみは愛しみでもあって、はげしい自己意識に裏付けられた、きわめて現代的なものだ、と著者は言う。

読み返してみた貧窮問答の歌。すごいな。全然過去ではないや。


風交じり 雨降る夜の 雨交じり 雪降る夜は 術も無く 寒くしあれば 堅塩を とりつつしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る

天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて 鵺鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道

反歌
世の中を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば


もちろん憶良がこんなに貧乏だったというわけではない。

「ほんとうに貧乏だったら「貧乏」なんていう言葉は口にしないでしょう。どうするかというと、笑う。笑うことが貧しい現実から人間を救い出します。それが人間です。」(中西)

ほんとにそうだ。眼前にパヤタスの景色がひろがる。あそこの人たち、ほんとによく笑う。私、自分がどこで笑っているかというと、パヤタスにいるときいちばんよく笑ってる。ああ、こんなに笑えるんなら、私まだ生きていける、とゴミ山の上で思ったもの。ゴミの山と麓のスラムで出会ったほどたくさんの笑顔に、ほかのどんな場所でも出会っていない。

「わたしの理解するかぎり、仏教は「原点」に立脚した思想を説きます。(略)そうした原点のひとつが「貧」なのです。」(中西)

ゴミ山の管理が厳しくなって、私が長期間滞在できないこともあって、もう何年もゴミ山にのぼれていないし、麓の集落を自由に歩くこともなかなかできないのが、さみしくてしょうがないのだが、たしかに、私のパヤタスへの欲望は、原点回帰の欲望だと思う。


意識しなかったけど「わたしたちの路地」にも、笑う、は出てくる。ざっとこんな感じ。


 飼っている豚に与える残飯を素手ですくって老婆がわらう
 椅子も棚も拾える「smokey mountain is christmas mountain」(スモーキーマウンテンはクリスマスマウンテンだ)と笑う
 蝋燭を灯せば深くなる闇のなかから家族の笑い声する
 ゴミ山から降りれば子らが楽しげにはやしたてる パホ、アテ・カズミ、マバホ(臭い、カズミ姉さん、とっても臭い)
 死んだ弟妹のため蝋燭を灯す子ら カメラを向けるとポーズして笑う
 (ほほえみは わたしの悲しみでほかの誰かを傷つけてしまわぬように)
 汗が目にしみて痛いけどもっと遊ぶもっと笑うもっともっと泣きたい
 顔にぶつかる蠅はらいつつ左目はもう見えないと笑うお婆さん
 キッチンの蠅追いながら老レティシアは笑う「I conduct fly's orchestra」(オーケストラの指揮をとるのよ)

うーん、これくらいしか書けてないのか。私って全然だめだ。
こないだ、パヤタスに行ったとき、遠くからゴミの山ながめて「あれが私たちのクリスマス・マウンテンだよ」とレティ先生と笑ったけど、あの土地で出会った笑いについて、ほんとうに書けたら素敵だろうな。でも意識してつかまえようとしたら、きっと消えてしまう笑いのような気もする。あんなに美しいものはない。