頭上の旗

昔、1985年3月に、中国に行ったとき、蘇州あたりで、水上生活者の暮らしを見た。いまにも沈みそうなぼろぼろの小舟なのに、沈まないのだな。その船で生活する。食事もするし子どもも産んで育てる。早朝、あちこちの船から食事の支度の湯気があがっていた。
きっと何千年も前からこうやって暮らしていたのだろうと思った。中国4千年の歴史のなかで、頭上の旗はどれだけ変わったかわからないが、その度におおごとだったかもしれないが、頭上の旗がどう変わろうと、この暮らしは変わらなかったのだろうと思った。
あれから四半世紀すぎて、中国は経済成長したと聞くけれど、あの水上生活者の人たち、どうしているだろう。

頭上の旗がどんなにゆれてるかとか、どんな風がなぜ吹いてるのかとか、結局さっぱりわからんかった。4年前大風ふいて、ひどいことになったので、逆向きの風が吹いてるのかもしれないけど、「構造改革」の意味も「政権交代」の意味も、わかんないままなのは、たぶん私の頭がわるいのだとしても。
風はいいや。頭上の旗を見あげるのは疲れるし。私は風見鶏ではないし。でも夜の開票速報は面白いかもしれない。

失業者数の増加とか自殺者の増加とか、政権がどうなっても、すこしひどくなるか、かなりひどくなるかの違いぐらいかもしれないし、もしかしたら政治がいいとか悪いとか言えてる間がしあわせで、政治不信とかシニシズムとか、そういうことも贅沢で生意気だったと思えるくらい、つらくなってくるかもしれない。
と考えると、あれこれの不幸の数々を直視できる精神の強さとか、見捨てない誠実さのある政治家が、当選してくれればいいし、そうでなければ無惨だろうなあ。

で、頭上の旗がどうだろうと、まじめに生活しないといけないのだ。夏休みも終わるし、ちびさんの二学期の準備しなければ。
今年はちびさんは運動会の練習ができるだろうか、とか、新型インフルとかおたふくかぜとか、もらってこなきゃいいが、とか、弁当つくんなきゃ、とか。そういうことを考えなきゃ。自閉症講座の申し込みとか、就学相談とか。

その前に、パパの機嫌とってニュースレターの原稿仕上げて刷ってもらわなきゃ。
お返事いろいろ滞っております。ごめんなさい。ニュースレターとあわせて来月上旬にはなんとか。