釣り

人生で、いまが一番貧乏だ、とパパは言い、人生でいまが一番金がある、と私は思う。
そんなだから、それぞれの実家の様相は、相当に違う。一方は大学の先生であり、一方は小学校もまともに出ていない。極貧状態があたりまえのこちらから見れば、向こうは「あん人たちゃよか衆」である。
家族について、ほんとうのことを喋ったら、ぎょっとされるだろうということは、もういいかげん体験してきたことなので、私も余分なことは言わない。

山口のおじいちゃおばあちゃんとは、しじゅう会っているし、玩具がほしいから、ちびさんすり寄っていくが、玩具を手に入れたあとはそっけない。そういうことを、年寄りとの付き合い方として身につけてもらっては困る、と私は思うのだが、言っても無駄なので言わない。

釣りをしたい、と言いだしたのはちびさんだった。トムとジェリーで釣りの場面があったのだ。
釣りなら、叔父さんに頼むに限る。帰省しよう、と思った。何より、玩具もなんにも買ってもらえないところに、連れていきたい。

さて、叔父さんと兄、それから私とパパと子どもと、海へ釣りに行く。
道で、見慣れた近所の人に声をかけられても隠れようとする子が、はじめて会う叔父さんに「はるにい、はるにい」となついている。この叔父さん、たいへん無口で無愛想なんだが(叔父と一緒に暮らしていた祖母は、この無口に苛立って悪態ついていたが)ものすごくやさしい。

私も子どものころ、ずいぶん遊んでもらった。山に行くのも海に行くのも、仕事の現場に行くのも、雨の日に花札するのも、一緒に遊んですごく気持ちがいいのだ。たぶん、意思の疎通なんていうのは、言葉でだけするものではないのだ。叔父さんが一升瓶抱えてやってくると、子どもの私も一緒に酒飲むので、叔父さん、私のためにからくない酒を選んできてくれたりした。
もしかしたら、外国に行って、フィリピンのゴミの山なんかにも行って、言葉もわからないのに平気でいられたのは、この無口な叔父さんと一緒に遊んできたからかもしれない。

年もとったし、仕事もないし、結婚しなかったので家族もない、10歳年上の恋人といっとき暮らしていたが、亡くなったので、もとの家にもどってきた。これまたボロボロの家(こちらは昭和40年代くらい)には、数年前から、諸事情で仕事も家も金も妻子もすべて失った私の兄が居候させてもらっている。

叔父さんの釣りは、趣味というより日課なので、突然お願いしても、とくに何も煩わせることもないので、こちらも気楽。魚が釣りあげられる度に、ちびさん興奮して、突堤の上で飛び跳ねるから、ひやひやするが、そのうちそんなことも気にならなくなった。ちびさん、魚にさわるのも平気。釣りざおをもちたがるが、魚を釣るのはまだむずかしいらしい、とさとったらしく、途中からは、「餌を運ぶ係り」になって、2本の釣り竿の間を、おきあみもって、行ったり来たりしていた。

ギザミとグレとベラ。あとは、小魚さんたち。私はベラを一匹釣ったほかは、小魚ばっかり釣り上げていたが、たくさん釣れるのは面白い。叔父さんさすがで、大きいのを釣る。きっとこの人は海や魚と話ができるのだ。
3時間ほど釣りしてる間に、私は相当に気分が晴れた。ちびさんも退屈せずに、兄に肩車なんかしてもらって、沖を船が通ると、波がくるのを、飽きもせず眺めていた。

親戚の家から友人の家に遊びに行ったおばさんを迎えにいき、父の家に戻ると、しばらくして、兄が、叔父がさばいてくれた魚をもってやってきて、料理にかかる。ちびさんの予定では「きょうのばんごはんは、お魚のフルコース」らしいが、砂糖と醤油で煮るだけ。
毎日食べるのは、飽きるけどなあ、と兄が言う。でも、はるにいが、釣りしてきてくれるおかげで、食費は相当助かっとるよ。小魚は、すり身にしてくれる言よるけん、明日もって帰ればいい。

さて、魚のフルコース。おいしいおいしいと、しゃぶりつくした。
えらくなつかしい味だった。思えば子どもの頃、こんなものばかり食べていたのだ。ちびさんも食べた。骨とってやるのが、面倒だったが。

また釣りをしたい、とちびさんが言う。ふふん、私もしたい。叔父さん元気な間は遊んでもらおう。いや本当に、相当に気分が晴れた。

なんにももたない豊かさを、ちびさん、きみは知っておくべきだよ。