お魚のフルコース

28日月曜日。

朝、父の家に寄る。
5月に死んだくーやんの家に寄る。盆にあちこちからいろんなものをもらった。くーやんがコーヒーの好きな人だったので、コーヒーばっかり。ペットボトル入りのアイスコーヒーが、ごろごろしている。持って帰れ、というので、貰って帰る。

叔父さんの家に寄ったら、前日釣った小魚さんたちがすり身になっている。それから、グレの大きいのを開いて一夜干しして冷凍してあるのを、たくさんもたせてくれる。拾ってきた銀杏も袋いっぱいくれる。

フェリーで帰るつもりが、フェリーも頑張って割引しているのだが、平日でも、高速のETCの割引を使えば、そのほうが微妙に安いかも、ということで、しまなみ街道を通る。晴れていたら、船にしたかったけど、曇りなので、道路でいいや、と思った。

さて、もらったお魚さん。すり身はフライパンで焼いたり、汁にして食べた。一夜干しのグレさんも食べた。買ってきたじゃこ天(おいしい店を見つけたのだ)も食べた。お魚のフルコース。ああもう、めちゃめちゃおいしいよう。
パパがものすごく感動しているので、この機会に、父や兄や叔父さんが生きて遊んでくれる間は、子ども連れて、できるだけ帰省すべきだと説得する。だってちびさん、あそこでものすごくのびのびしていたよ。

たぶん、私の父にも叔父にも教育的配慮、などというものはかけらもないのである。いい子になれとか、行儀がいいとかわるいとか、そんなことも言わないし、期待もしない。ちょっとは言ってみても考えてはおらん。(子どもに無造作に煙草の煙を吹きかけるとか、するし)
孫のために、親に何かを期待するということもなければ、親のできそこないぶりを嘆いて孫をふびんがるとか将来を心配するとか、そういうこともない。
父も兄も、ちびさんをもみくちゃにして自分が遊んでいるだけなのである。
叔父さんの釣りも、自分が楽しんでいるだけなのだが、叔父さんが楽しいから、子どもも何か楽しいような気がして飛び跳ねる。
たぶん、あの人たち、子どもを楽しませようという無理がないのがいいのだ。
私も、いちいちちびさんを見ていなくていいし、年寄りの感情を気にしたりしないでいいので、とっても気が楽だった。

だからさ、家もなくて仕事もなくて金もなくて、貧しくて、風土のなかでようやく生かされている、そっちのほうが世界標準なんだよ。お義父さんやお義母さんの暮らしは、日本では標準かもしれないけど、そんなの先進国の一部のことよ。それがあたりまえと思ったら、世界がとっても狭くなる。人生で行き詰まったときに、すぐに首くくるようになるよ。人間の心なんて味方がいつ敵になるかわかんないんだし、ちびさんも自閉症あるから、コミュニケーション障害きっと出てくるし、そういうときに、山や海や風土が味方だとか、何にももたない、うちの叔父さんみたいにものもいわない人たちと一緒に、でも起死回生をはかることはできるし、純朴に生きつづけて行けるとか、そういうことを、肌で感じさせておかないといけないよ。

しかし、家族で帰ると金かかるのだ。やれやれ。