夏の旅 フィリピン 2 ぼくがいた。

7月26日。朝ご飯はグレースが作ってくれる。レティ先生の養女。最初に会ったとき、彼女まだ5歳だったが、今はすっかり頼もしいお姉さんになって、レティ先生の介護その他引き受けている。最近、登山が趣味。ピナツボ火山にのぼった写真を見せてくれた。
息子、ガーリックライスを食べるには食べたが、食べにくいらしい。レティ先生とグレースがあとでパン買ってこなきゃ、と話している。私も遠慮しない、ありがとう、お願いします。

朝9時前に、先生たちやってくる。パヤタス校はイエン先生とマイク先生。マイクは去年まで、パアラランの奨学生のひとりだった。カレッジを卒業して、パアラランの先生になった。
ほかにカレッジを卒業した子たちはよい就職ができた。ロウェルはコールセンターに、デニスは銀行に。

先生たちもよい就職をした。クリステルとロシェルは教員資格をとって、正規の小学校の先生になった。教員資格の試験では、パアラランでの経験が評価された。

マイクを別として、減ったぶんの先生の数を増やすことはしなかった。
資金不足が深刻なのだ。
受け入れる子どもの数を制限して、クラスを減らして、奨学生や親たちの助けを借りながら、やっていこう、という相談を新学期がはじまるときにした。
それでもパヤタス校だけで午前午後あわせて61人来る。エラプ校は4つあったクラスを午前午後とも2つに減らして、あわせて82人。

長く支援をつづければ、当然そういうこともあるのだけど、スポンサーさんたちが亡くなってゆく。だから時々、私は死者にお便りを出しているのだが、会ってお礼を言うこともできないままに、逝かれてしまう。メンバーが高齢になって、活動ができません、というグループもある。今年度はいままでのところ、例年の半額しか送金できていない。
7月末で資金は尽きる。

フィリピンの教育改革は劇的にすすんでいる。5歳になったらキンダーガーデンに通えるし、いままで4年間だったハイスクールが国際標準の6年間に変わりつつあるし、公立の学校は大学まで無償になった。(パアラランの奨学生への支援も、交通費と制服、テキスト代、で済むようになった。これまでの半額ほどで足りる。)

もしも、あんまりお金がなくてつらかったら(つらいので)、レティ先生の健康も心配だし、先生たちもここで安い給料で働かなくても、仕事は見つけられそうだし、子どもたちもキンダーガーデンに通えるし、パアラランはこれまで十分使命を果たしてきたし、もう使命を終えてもいいのかもしれない、と私はすこし思ったが、

やってくる子どもたちを見て、思い直した。この地域にこの学校は必要だ。
シンプルに行こう。レティ先生は学校を続ける。私たちは支援を続ける。


小学校や幼稚園に行く前の教育が、決定的に大事だということを、ここの子どもたちは教えてくれる。学ぶことが楽しいという達成感や自信がなかったら、子どもたち、小学校に通いつづけることは難しい。小学校前に自信をもてた子は、そのあともなんとかがんばれる。
この地域に、パアララン・パンタオという学校はやっぱりどうしても必要なのだ。パアラランに子どもを連れてくる近所のお母さんたち、おばあさんたちが子どもの仕草ひとつひとつを窓から見ている、その祈るような気持ちが、なんかもう、ひとごとでなかった。

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イエン先生は給食の準備。マイクがクラスを担当。歌とお遊戯とお祈りのあと、お勉強。母音のIについて。Iで始まる言葉や文字のかたちを覚えよう。それから色の学習。赤い色について。それから顔のパーツの名前。

レティ先生の次男のボーンが車を出してくれて、レティ先生とグレースは病院に行く。私たちも一緒に行く。週に2回、セラピーを受けている。看護師さんの説明によると、弱い電気を流したり温めたりして、筋肉が硬直しないように、やわらげるように、しているのだそうだ。1時間ほど。
見ていると、レティ先生は毎食小魚を食べるし、飲んだことのないミルクも飲んでいる。素直に前向きで、ああこんなふうに生きるんだなと、彼女を見ていると、老いても全然大丈夫、と心強い気持ちになれる。

息子、夏休みの宿題が半端ない。一週間も海外旅行して、そのあと帰省もして、宿題終わるはずがない。で、英語の宿題をもってこさせて、教室の隅の、校長スペース(実は物置)の机と椅子で、勉強するようにさせた。勉強するふりして、音楽聞いていたりするのは、まあいつものことなので放っておく。
トイレに行くとき、校長スペースの前を通る小さい子たちが、こいつ誰や、という顔をして、ぼくをにらんでいった、と息子が言う。そりゃ、こいつ誰やねん、だろう。ハローも言ってないのに。
ひっこんでないで、出てきて教室で、子どもたちと一緒にいなさい。それでニュースレターに使う写真撮って、と言ったら、さっきの、こいつ誰やねん、ってにらんだ男の子たちが、カメラ見せてカメラ見せて、となついてきたらしかった。

気づいたのは息子だ。
「教室に、ぼくがいる」と言った。あれは、ぼくだ。パヤタス校の午後のクラス。
見に行くと、いた。みんなが歌うときもお遊戯するときも、決して歌わない踊らない子が。すみっこで、ひとりで勝手なことをしている、ときどき歩いて、カーテンの外なんか眺めている。
いーや、ほんとにそうだ、幼稚園の頃の息子みたいだ。なんか、顔まで似ている。
アイヴァン君、4歳。右端の赤と黒のシャツ。
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レティ先生に言うと、アイヴァンは去年から来ている。今年はまだましで、去年はずっと教室のなかを歩き回って、机に向かってすわることもできなかった。スペシャルな子どもだ、彼のお母さんは、彼から目を離せなくて四六時中、彼をプロテクト(保護)している。
そうそう、そうでした。いつどこへ向かって飛び出していくかわからないし、親のあとをついてくるなんて、かわいいことはしないので、いつもいつも、捕まえていないといけなかった。

息子はアイヴァンを気に入った。翌日、一緒に写真を撮ったが、アイヴァン恥ずかしがって、顔をあげないまま。息子のほうはまれにみるいい笑顔。
「アイヴァンはぼくよりずっといい。教室で机に向かってすわっているし、おとなしくしている。僕が4歳のときは、教室にいられなくて、出席とったあとは脱走していた。教室にいられるようになったのは5歳からだよ。アイヴァンはぼくより1年はやい」
それから予言した。「彼はきっと大物になるよ」。

それからエラプ校へ。ボーンの車で行く。
エラプ校の先生は、レイレ先生とダニエル先生。それから、奨学生が3人(ジェイペロウとジャンポールとライジェル)、アシスタントティーチャーのボランティアに来ていた。

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責任者はベイビー先生。奨学生だったロウェル君のお母さんが、給食係。ロウェルのお母さんに、卒業おめでとうを伝えた。ロウェルもあとから顔を見せてくれた。ロウェルのお父さんが亡くなって、カレッジをやめて、子どものおやつのゼリーを行商していたのはたったこの間のことのようなのに。あのとき打ちひしがれていたお母さんの顔が、毎年会う度にほがらかになっていて、それがとてもうれしい。
給食の残りのスパゲティもらった。
ベイビー先生に、パヤタスカード(寄付してくれた人へのお礼のカード)の準備のお願いをする。ベイビー先生とロウェルのお母さんが、クレヨンの仕分け(色ごとにわける)をはじめたので、それくらいなら、できるよね、息子、手伝った。

 

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エラプ校周辺