星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

現代文解釈の方法

参考書の話。
息子、高校最初の模擬試験があった。自己採点結果など聞かされたが。
数学がなんでそんなにできなかったのって話だが、少しは危機感があってほしい。どっかが雑なのだ。どっかが雑で、答えまできっちりたどりつけない……。
英語は立派。最近は、パアラランとの英語でのメールのやりとりは息子にしてもらう。
国語は、古文は意外によくできるのだが、現代文は、評論はわかるが、小説と随筆が難しい、らしい。


それで思い出したのだった。40年前の参考書のこと。
高校1年の最初に渡されて、休み明けの課題テストは、その参考書から問題が出されたから、勉強しないわけにいかなかったのだが、その参考書が、難しかったのだ。
「現代文解釈の方法」という本。
難しかったのだが、ときめいた。例文を読むだけで、どきどきした。三島由紀夫の「詩を書く少年」や和辻哲郎の「ゼエレン・キルケゴール」が載っていたのを覚えている。

実家には、もう私の持ち物はほとんど何も残っていないが、小さな段ボールのなかに、卒業証書や通知表、何冊かの教科書とノートが残っていたのを、思い出した。そのなかに「現代文解釈の方法」があった。
息子に、というより、私がまた手にとってみたくなった。それで兄に電話して、父の家の押し入れのどこかにあるその段ボールを、探して送ってもらった。

ところが、である。送ってもらったその箱のなかに、「現代文解釈の方法」だけがない。これはひょっとしたら、大事なものだからと思って、よけておいて、なくしてしまう、というパターンだったのか。
実家にないなら、持ち帰っているはずだが、家じゅうの本棚を探してもない。

ないとなると、気にかかる。一階の押し入れ。そこを探してなかったら、あきらめよう、と思って、10数年ぶりに、押し入れの奥の段ボールを引っ張り出した。ついでに、パパの古いビデオや本の処分もすることにした。その片付けが大変で。

私の物をつめこんだ段ボール5つほどの中身は、おそろしかった。
古い手紙をつめこんである箱は、さわったら日常回帰ができなくなりそうだから、さわらなかったが、その他の本やら雑誌やら、ノートやらを詰め込んだやつをひらいていったら、いろいろ出てきた。高校のころの交換日記とか、なぜか、友人たちの卒論のコピーとか。詩や小説、は私の書いたものでなく、ペンネームなんだけど、誰のペンネームであったかが思い出せないとか、で、結局、読みだして時間がかかる。そんなふうに生き難かったのかと、いまになって理解できることとか。
児童館で働いていたころかいた行事の冊子の表紙絵とか。横浜の寿町の識字学校に何回か通ったことがある、そのときに大沢先生が使っていた手作りの教材であるとか。
そして最後の最後の最後の箱から、出てきた。「現代文解釈の方法」。
感無量。

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押し入れ片付けるのに、かれこれ夜中までかかって、今日は腰痛だけど、本、見つかってよかった。
いろんなことを思い出す。15歳の春と夏と秋と冬。この参考書本当に難しくて、あんな田舎の、そんな進学校でもない学校で、しかも1年生に、あの先生はよくこんな本を配ったよな。あの先生の国語の授業を好きだった。担任だったが、ホームルームの時間に読書会をするような先生だった。(30年後、先生は自殺というかたちで亡くなったのだが)

ページをめくって、新しい例文を読む度に、もっと深いところ、もっと遠いところに向かって、自分が押し出されていくような感じがしたのを、今でも思い出せる。
素晴らしい1年間が、あったのだ。

3週間毎日採れた畑のいちごも終わり。今季最後のバナナといちごと桑の実のパフェ丼。

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