風が吹いて

1月27日、宇和島にかつて経験したことがないほどの、突風が吹き荒れた。上の叔父の家の納屋は崩壊したし、父の家の周辺も、そこらじゅういろんなものが散らばったらしい。お城山の管理や観光案内をしている下の叔父は、お城の木が倒れたところに遭遇、小枝で頭を叩かれただけですんだが、あと数秒よけるのが遅れたら下敷きだった。
26本だか、倒木したらしい。こんなにひどい風なのになぜ門を閉めないんだと、市に電話したら、でも警報が出てないので、と困惑していたが、とにかく客を山から降ろした、とか。
その風のことを、忘れないと思う。その翌日、父が入院した。

手術のあと、「先生、わしは1週間ほど死んどったような気がする」と言ったらしい。死ぬ数日前には、兄が帰るときに「おまえが帰るということは、わしは死ぬということかあ」と言ったりしたらしい。
祖母が死ぬときに「わしはあと3日で死ぬらい」(らい、は未来推量か)と言って3日後に死んだらしいから、わかるのだろうな。

葬儀のあと、仕事があるので帰るという弟を送りがてら、兄と弟と私と息子で、和霊公園に散歩に行った。
すると立ち入り禁止。ここも、突風で大木が何本も倒れたのだ。信じられないような大木が根もとから倒れていた。
公園の遊具も撤去されていた。それらの遊具は、もう50年以上前、若かった父が、市の仕事を請け負ってつくったもの。管理のおじいさんが言うには、もう古くて壊れてもいたので、この機会に撤去したのらしい。
公園の遊具も、父さんと一緒に風にさらわれていった。いままでよく残ってたなって話だが。
一陣の風が吹いて、世界が変わってしまったのだ。父がいた世界から、いない世界へ。

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ただ、父がセメントでつくったゲレンデ状の大きな滑り台だけはまだ残っていて、子どもたちが滑りたがるので、そこは立ち入りできるようにしたらしく、小さい子たちが遊んでいた。たぶん、宇和島じゅうの子どもが遠足に一度は来る公園なので、誰もが一度はすべる滑り台。こわがって滑らなかったのは娘の私だが。

半世紀以上もこんなに愛される遊具をつくったことは、きっとあの世でも自慢していい。公園のまわりの、木の柱をかたどったセメントの柱も父がつくった。せいぜいここにきて、父を偲ぶことにしよう。子どもなので、その作品に、父の性質とか癖とかがにじんでいるのを、なんとなく感じるのだった。好きでもあり嫌いでもあり、だったけど。

去り際はとにかくあざやかで、仙人かしらという感じだったので、お父さん上手に死んだねえと、お父さんと話したいなあと思った。そのお父さんがいないというのが、死んだという意味なんだけど。

 

兄と弟(このふたり、通夜のあとに、けんかの続きのような和解をしていた。私も知らなかった弟の、過去と現在のトラブルいくつか発覚するが、そのネジのはずれっぷりは理解を超える。もう生きてるだけでえらいと思うよ)、私と息子で、鯛めし食べに行く。

 

葬儀の翌日、息子はひとりで広島に帰る。はじめてのひとり旅。アンパンマン列車で朝10時前に出発。夜7時に帰宅というから、遠いねえ。
息子を帰したあと、兄と私は、支払いほか、種々の用事を片付けて、父の家の近く、親しかった人たちのところに挨拶にまわる。お見舞いに行ったけど、親族以外の見舞いはできないと言われて、病棟に入れてもらえなかったのよ、と聞く。

コロナのせい。

お通夜のあとに、下の叔父から、「クルーズ船から降りてきた人のなかに、この町の人がふたりいて、検査の結果も出ないうちから、飲み屋に行ったりカラオケに行ったりしているから、気いつけえよ、と知り合いの飲み屋から電話がかかってきたから、気いつけえよ」という電話がかかってきていた。

木がたくさん倒れたというお城に兄と登った。あちこち立ち入り禁止。カンザクラが咲いていた。それも半世紀近く前だろう、このお城の壁の塗り替えも、父と上の叔父の仕事のひとつだった。

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上の叔父を誘って、温泉に行く。食堂で、さつま汁を食べたかったが、ないので、しらす丼食べる。(さつま汁は別の日に別の店で食べた)
男湯の客の噂話で、クルーズ船から降りてきたのは、どこそこの島の人らしい、いまのところ陰性らしいけどな、と聞いた、とか。

それから数日後、クルーズ船とは別の、隣町の女性の感染が、ニュースになるんだが。

 

私たちには、偏屈なところもあった父だが、地域では、穏やかないいおじいさんだったらしい。近所のおじいさんが、死んだと聞いて、うそやろー、と叫んだとか、大家のおばさんが泣きだしたとか。近くの空き家空き地の草引きをせっせとしていたことを、近くの人たちが口々に言ってくれるとか。

家のなか、すっかり何にもなくなっていたが、もしも私が泥棒だったら、ほんとにうれしいだろうと思ったのだが、引き出しの底に父が隠していたお金を見つけた。兄が通帳あれこれの探し物をしたときは気づかなかったのに。
黙って持って帰ろうかと思ったけど、さすがに良心がとがめるので、兄と山分け。病院の支払いもあるし。こんなお金残すなら、もうすこしましなところに住めばよかろうもんを、とか、父さんらしい、とか、話したことだった。

ありがたいお父さんでした。本当に風とともに去ってゆかれました。

金曜日、兄が松山まで送ってくれる。途中で通りがかった梅津寺パークが変わっていて、みかんパークみたいな建物あって、そこでは、蛇口からミカンジュースが出てきました。お金払うけどね。おいしかったよ。

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