パット剥ギトッテシマッタ/アトノセカイ

藤原書店の『環』という雑誌に、河津聖恵さんが連載している。
「詩獣たち」
4ページほどの詩論。2014年秋号、第16回の最終回で取り上げているのは、原民喜

私もしも進学で広島に来なかったら、ある日、古本屋で原民喜全集を見かけるということもなかったかもしれない。あの戦慄するような散文を19歳ごろに読むということもなかったかもしれない。
広島に来てよかったなと思うことのひとつは、間違いなく、原民喜を読むことができたということだと思う。

パット剥ギトッテシマッタ/アトノセカイ

河津さんの詩論で、ああそうかと腑に落ちたのは、原民喜にとって、原爆投下後の、パット剥ギトッテシマッタ/アトノセカイが、何だったかということ。それがもたらした希望と、また新たな絶望。

──「新地獄」の光景は詩獣のガラスを壊した。だが壊れたゆえに図らずも一すじの光が差し込んできた。「たしかに私は死の叫喚と混乱のなかから、新しい人間への祈願に燃えた。」
──中略──
だが、人間の悪意は原爆によっても滅ぼされることはなかった。「剥ぎとられた」はずの世界は、死者も祈りも忘れただ「生活意欲に充満して」いった。──
(詩獣たち16 ガラスの詩獣)

世界がヴェールの向こうのようにしか感じられない

ガラス、という言葉で思い出すのは、やはり19歳の頃に読んだ、小松川女子高生殺害事件の犯人の少年、李珍宇の書簡集で、世界がヴェールの向こうだというその感受性のありかたに、激しく共感しつつとまどった。

パット剥ギトッテシマッタ/アトノセカイ

に、現れてほしいとねがったもの。

「人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによっても粉砕されない時が、そんな調和がいつか地上に訪れてくる」(原民喜)

何かが嘘なので、壊さなければならない、と感じていた遠い日があり、何かがこわれてしまったあとに、どうして私はあんなに、ゴミの山で生き生きと過ごしたか──
というようなことも、また考えてみたりしたことだった。

『詩獣たち』来年、本になるそうです。楽しみ。


原民喜の詩碑にひび割れ、というニュース見かける。なんだろう。