熟成したやつ

昨日、母の命日だった。34回目。それで今年、私は母が死んだ年になっているのでした。まさかまさか母より長生きするとは思ってこなかったので、なんかへんな感じ、というか、落ち着き悪いというか。たぶん、出来の悪い生徒なのでこの世に居残りさせられているのだろう、と思うと納得できるけど。宿題が解けないというか、終わらないというか、そんな感じ。
抱え込んでいる宿題は、それなりにあるのであり、それがなかなか、情けないというか、申し訳ないという状態で、いろいろ苦しかったりするんですけど。



数日前、家のなかを片付けようと思いたった。いまやらないと、寒くなったらできないし、というかやらないし。いま2階は2部屋とも物置状態、足の踏み場ないし、なんとかしなきゃなんなかったわけですが、ひとりで暮らしていれば、片付けられないのは自分のせいですけど、家族がいると、なぜかみんな、ほかの人のせいにするよね。片付け始めると、捨てたいのに捨てさせてくれないこととかにイライラして、それで片付けるのをあきらめて、片付かない、が続いていたけど、もうどうにかしないと。

押入れの半分を占めていた古いビデオを捨てることにパパが同意してくれたので、押入れにすきまができる。それだけでうれしい。だいたいこの家に来て14年間、一度もダンボールから出すことがなかったものだし、14年も寝かせたんだから、もうそろそろゴミになってもいいよね、と思ったら、ゴミとして熟成するのを待っていたようなへんな感じがしたけど、捨てることができるためには、ある程度の時間が必要だったりは、たしかにする。

2階のゴミを階下におろしたから、いま階下の1部屋が埋まっている。ゴミの日が過ぎたら、階下の片付けをする。あれこれもらった古着(私が着ている服のほとんどすべて。助かっている)の「熟成したやつ」を処分できれば、またすこし、スペースができるはず。

処分にお金がかかるものもひと抱えあるけど、それはお金がかかるので、見送り。いつも見送りつづけている。いつかなんとかしなきゃいけないけどな。