ずっと友だちだよ大会

いまごろ目に映るあれこれは、不信の海に浮く泥船のよう。
思うほどに、あちらも疑わしくこちらもいかがわしい。

次から次へと画面にはあたらしい踏み絵があらわれるんだけれど、
踏めば沈むか、踏まねば沈むか、踏んでも踏まなくても、沈むものは沈むのか、

思うのですが、
たとえば愛とか、たとえば友情とか、なんにもわからない海で、
私に何ができるでしょう。

あれにつけてもこれにつけても、大人は不要な憎しみを育て、
子どもは子どもで、無駄に傷つけあっている。

地球は蜘蛛の糸にぶらさがっているのに、
だんだんカンダタに似てくる。

マンデラ元大統領が亡くなって、
マンデラ元大統領はすこし休んでいるだけだ、としても、
地球はすこし心細くなったかもしれない、と思った。

そういえば蜘蛛の巣はセーフティネットのかたちをしてる。
セーフティネットの糸の一本が切れた感じの、心細さ。

でも、蜘蛛の糸は、ほんとうはとても丈夫で
簡単に切れたりしない、らしいんだけど。



クラスの子が転校するので、昨日は「ずっと友だちだよ大会」をしたらしい。
お別れ会、とは言わないんだね。
週末の作文のテーマはそれなんだけど、息子は「お別れ」とタイトルを書いたあと、1行目から、もうなんて書いていいかわからない。ママ、こういうときは何を書けばいいんだろう。

こういときは、まず、転校していく友だちの思い出を書くんだよ。
私の記憶では、Sさんは2年生のときに同じクラスで、私の息子を鉛筆でつついたり、「死ね」とか「キモイ」とか言ったりしました。
それ、書く?

すると息子は、笑ってぶんぶん首をふって、「書かない」と言った。
いい子だ。(でも、書いても、いい子だよ。)
そのほかに何か思い出がある? 一緒に何かやって楽しかったとか。
「うーん、何もないよ」
じゃあ、マス目を埋める次の方法としては、「ずっと友だちだよ大会」で何をしたかとか、楽しかったとか楽しくなかったとか、そういうことを書いていく。
最後の手段としては、
なにを書いていいかぼくはわかりませんって書く。
でも、それを1ページ以上かけて書くのは、たいへんだね。

息子、「ずっと友だちだよ大会」のゲームは楽しかったけど、クラスから人が減っていくのはさびしい、みたいなことを書いていた。

このテーマでは書きたくないから、書かずに行くとか、別のことを書くとか、も提案したんだけど、
「そんなことはできないよ」って言う。

それで、猫かぶりしたい子は、つまんない作文書くのでした。にゃーお。

生きていくのは難しいね。