パアララン 2

8月2日。未明、豪雨。雨の音で目が覚める。横に、何か気配があるなと思ったら、グレースの犬のウィスキーが寝ていた。雨季なのだ。気候変動はグローバルに起きていて、フィリピンの気候も昔とは変わってきたとレティ先生は言ったが、雨季は雨季なのだ。ときどき激しい雨が降る。滞在中、連日夜中に、スコールがきた。

早朝、ジェシカが娘のチェチェを抱いてやってくる。マジョリー(ジェシカの母、レティ先生の姪)からの差し入れのパンシット(米麺の焼きそば)とルガウ(おかゆ)もって。
チェチェはしきりに指差しをしていたから、1歳半くらいになったのか。私がはじめてジェシカに会ったとき、ジェシカは2歳だった。マジョリーはパアラランの先生をしていて、ジェシカを抱いて子連れ出勤していた。あれから24年が過ぎたのだ。世代が移った。「昔、ジェシカがチェチェみたいだったのに」

早朝、雨だったせいで、子どもたちの数は少ない。12人ほど。この日のテーマは、フィーリング。気持ちをあらわす、言葉の学習。英語とタガログ語で。
この日のアシスタントの奨学生、ジョン・ポールは初等教育専攻の4年生。
エラプ校に行くというと、レティ先生がマイケルを案内につけてくれる。ひとりで行けるのだが、私だけでなく息子もいるし、しかも夫は日本にいるので、いろいろ気を使ってくれるのだった。「パパはどうしているの」「パパは日本で、レイジー(怠けもの)な息子とクレイジーな妻がいなくて、平和だと思うよ」と話しては笑ったが。
(実際は、去年も今年も、パパは息子のことが心配でしょうがなかったらしい)
ジプニーに乗る。ジプニー大好き。窓から、ごみの山の全景が見えるポイントがあるのだが、反対側にすわったので見えなくて残念。でも、見えても、すでに、ただの山にしか見えないだろう。すっかり草におおわれて。

f:id:kazumi_nogi:20190811175828j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811175944j:plain
 エラプ校まで30分ほど。
今年エラプ校の先生は、責任者のベイビー先生のほかに、二人しかいない。レイレ先生とマイク先生。クラスがどれだけあって、生徒が何人いて、ということを、インタビューしてメモしてね、と息子に頼んだが、息子が、言い終わる前に、すべてを察したマイクが、次々話してくれるが、これが、息子は聞き取れない。訛りが強い、そうだ。
ああなるほど。英語が絶望的に苦手なまま、こんなところに通うことになった私は、英単語もタガログ単語も区別つかないまま、文法もないまま、必要単語を並べて察してもらって、なんとなくやりとりしているが、、。
マイクが、必要事項全部、メモしてくれる。すばらしい。
2人の先生(と奨学生1人か2人)で、78人の子どもたちを見ている。午前中に2セクション、午後1セクションの計3セクション。

午前8-10時 アップル・セクション 3-4歳 25人が登録。

午前10:30-12:30 オレンジ・セクション 4歳1か月-4歳5か月 25人が登録。

午後1:30-3:30 バナナ・セクション 4歳半-5歳 28人が登録。

レイレ先生は英語と理科、マイク先生は、算数とフィリピン語を担当。ベイビー先生や奨学生たちがサポートする。という体制。カリキュラムはパヤタス校と一緒。
とにかくそれで、2校あわせて138人の子どもたちを受け入れている。
工夫に工夫を重ねて、というほかない。

子どもたち、自分の名前の書き取りの練習をしていた。先生がかいてくれた点線をなぞる。

f:id:kazumi_nogi:20190811180234j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811180346j:plain

 

ベイビー先生の孫のPJという男の子3歳が、私の息子のあとをついてまわる。息子、去年は、「ぼくは小さい子とどうやって遊んでいいかわからない」と困っていたが、今年は、ふたりで、ミニカーを走らせたり、ペットボトルのキャップを投げたり、それなりになごやかに遊んでいた。

日本で、バザーで販売するために、ジュースパックやお菓子の袋でつくった小物を仕入れて帰る。エラプ校の3階は、お母さんたちが小物をつくる作業所として使われている。雨のなか、ベイビー先生が母親たちに連絡して、4人ほどが、商品をもってきてくれる。私も予算がなくて、ほんとに少しずつしか買えなかったんだけど。
商品の作製には、母親たちの自立支援ということで、日本のNPOハロハロさんが取り組んでいる。インターンの学生たちは、休日に奨学生たちに日本語を教える、ということもしている。


お昼ごはんは、ベイビー先生がバングースのフライを出してくれた。
ベイビー先生の次女のチャイリンは、髪を切るのが上手で、ベイビー先生もレティ先生も、チャイリンに髪を切ってもらっている。私も、ここでチャイリンに切ってもらって帰る。

エラプ校の隣には、レティ先生の次女のジンジン一家が住んでいる。庭に息子のライジェルがいたので声をかけたら、なかからジンジンが出てきてくれた。ジンジンは、私の息子に、あなたのママはとても親切で、フィリピンの子どもたちを長い間助けてくれているよ、ときれいな英語で言ってくれる。が、その話は息子の耳を素通りして、彼の耳に残ったのは、「ガールフレンド5人くらいできるよ」と、ジンジンが言ってくれたことであった。
しかし、女の子に「ハロー」も言えない男子が、どうやってガールフレンド……と私は思う。

帰りは息子とふたり、ジプニーでパヤタスに帰る。
帰ると、ロイダさん来ている。私が注文を出す、リサイクルバッグのほとんどをつくってくれているのはロイダさんだが、5月にお母さんが6月にご主人が亡くなったと聞いていたから、とても製作どころではないと思っていた。でも、9割がた仕上げて、もってきてくれている。一緒にロイダさんのところへ。亡くなった夫は、去年来たとき、生きている虫たちを、食べるか、とすすめてくれて、私の息子を仰天させていたが。入り口に小さなスロープができているのは、車いすのためだったのだろう。目が見えなくなってもいたらしい。

学校に戻って、それからイエン先生とジョン・ポールと一緒に、ダンプサイトに行く。ゴミ山は閉鎖されているが、周辺はまだ、以前のままで、エラプ近くのゴミ山とここを行ったり来たりしながら、ゴミ回収の仕事を続けている人も多い。

f:id:kazumi_nogi:20190811180541j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811180655j:plain


写真だけ見たら、きれいな緑の草原だが、ヤギたちがいるこの草原も、山も、全部ごみの堆積でつくられた光景なのだ。かつて、ここにどんな光景があったか、私はありありと思い出すんだけど。ゴム草履のままの子どもたちが、ゴミを拾っていたことなんかも。たちのぼる無数の蠅たちのことも。臭いもぬかるみも。
雨上がりで、そこそこ道もぬかるんでいる。
みじめさ、の成分は、ひもじいこと、寒いこと、それに、ぬかるみのなかをあるく気持ちもそうだな、とふと思う。
ふもとの集落をまわる。マニラで、最も貧しい地域のひとつ、そのごみ山のすぐ傍らの集落からも、子どもたちが通ってきている。夕暮れ、狭い路地で、子どもたちが縄跳びしたり、メンコしたり、遊んでいる。「昭和の時代は、日本もこんなだったのかな」と息子が言う。きみのおじいちゃんが子どもだったころにはね。

f:id:kazumi_nogi:20190811180819j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811180936j:plain

路地の後ろの山は、ゴミの山。

私には、まだ、すこしはノスタルジアにつながるところもありそうな光景だが、息子には、ひたすら不思議な奇妙な景色のようだった。夕暮れに、路地で子どもが遊んで、少年たちがバスケットしたり、大人たちがすわりこんでおしゃべりしたり、という景色。

それから、バランガイ(行政の最小単位)センターに行く。
パアラランの最初の奨学生だったレイナルドがここで働いている。ちょうどパトロールに出ているというので、オフィスに入ったら、オフィスの奥に鉄格子があって、なかで男が寝ている。牢屋?と息子がきいたら、イエス、とイエンが答えたけど、とりあえず、留置しているみたいかも。
オフィスにいたスタッフの女性は日本語ができた。姉妹が、神奈川にいるらしい。彼女自身も3年間日本で働いていたらしい。
レイナルドが帰ってくるまでに、マジョリーのサリサリストアに行くことにした。途中で、ジュリアンの奥さんのモッチと娘のサビエンヌに会った、サビエンヌは小学校1年生になった。背が伸びて眼鏡かけて、なんかすごく大人びた。

マジョリーのことを、去年会ったのに、息子は覚えていなかった。でも、おやつにバナナキューもらったよ、と言うと思い出していたが。ジェシカはいまダンキンドーナツで働いている。妹のエイエが、店の仕事やジェシカの娘の世話を手伝っている。
レイナルドは、よく通学時間に、通りでパトロールをしているよと言う。レイナルドがバランガイで働きはじめたのをきっかけに、レイナルドの弟妹たち4人ほどもバランガイで仕事を得たらしい。25年ほど前、田舎の家を台風で失って、マニラに出てきて、ゴミ山のふもとに住みついた一家だった。兄弟はたしか8人ほどいた。レイナルドはパアラランで勉強を再開して、大学は首席で卒業した。
バランガイセンターにもどると、レイナルドが戻ってきていて、パアラランまで、パトロールカーに乗せて送っていってくれるという。おお、すばらしい。
レイナルドのバイクに先導されて、私たち4人パトロールカーに乗って、ふもとの集落のなかを抜けて、パアラランまで戻る。

f:id:kazumi_nogi:20190811181121j:plain

レイナルドは3人の息子と1人の娘がいて、娘はいま小学校1年生。以前パアラランに通っていたが、際立って賢い女の子だったので、とても印象に残っている。

 

一度、家に戻ったレイナルドが、野菜の料理をもってきてくれる。見た目、つくだ煮っぽい。葉っぱをココナッツミルクと謎のスパイスで煮込んだもの。昔、レイナルドが料理を作ってくれたことが何度かあるが、なつかしいレイナルド・テイストだ。ココナッツミルクの料理。


夜、レティ先生と、学校の経費の話など。フィリピン経済はずいぶんよくなっているよね?と言うと、「そう言われてるけどね。私は全然そう思わないよ」と言う。然り。この地域の貧困はあいかわらずのようだし、何よりパアラランの困窮はとても切実。電気と水代もあがって、学校の諸経費の支払いが、ほんとうに厳しい。
どんなに少なくても、1万ドルはなければ、学校の運営は成り立たない。そして、とにかく先生の給料をあげて、壊れた屋根をなおして、新しい扇風機もいるし、採光の悪いのもなんとかしたいし、、、と考えると、あと1万ドルは欲しい。というような話をしていて、長い間、支援してもらったけれど、亡くなってしまったスポンサーさんの話なんかもしていたんだけど、どういう話の展開だったのか、私の息子が大人になったら、寄付してくれる、という話になった。1万ドル。
すると息子、そんなの無理、とか言うこともなく、えええ、と驚きもせず、「10年待て。だから元気で長生きしていてください」とレティ先生に言う。それから「1万ドルか。きついな」とぼそっとつぶやいているのが、なんかおかしい。

 

 

パアララン 1

7月31日、息子とふたり福岡空港からフライト。午後6時半頃、マニラ着。日本よりずっと涼しく、でも空気は湿気を含んで重い。空港の外で風に吹かれて待っていたら、グレースが迎えに来てくれた。グラブタクシーで、帰るという。スマホで登録しとくと使えるらしい配車システム。30分ほど待っていたら、タクシー来た。
渋滞。ラジオからはバスケットボールの実況中継。2時間以上かかってパヤタス着。レティ先生、起きて待っていてくれた。キッチンのいつもの場所で。
ジョリビーのドライブスルーで買ったハンバーガーとチキンとライス食べる。息子、ハンバーガーとチキンは大丈夫だが、ライスは無理、と言う。去年もジョリビーのライスは無理だった。翌朝私が食べることにする。
いつものように、教室で、テント型の蚊帳のなかにマットレス敷いて寝る。天井のヤモリが鳴く。外では真夜中まで、少年たちが遊んでいる。バスケットしていたり話している声が響く。それからバイクの音もする。眠れない。ようやく静かになったなと思っていると、もう鶏が鳴きはじめる。
朝起きた息子は、足をたくさん蚊に刺されている。なぜ?同じ蚊帳のなかで寝たのに。私は無傷。
その後も、同じ場所にいて、私は刺されず、息子は刺された。アルコールや虫よけローションやカトル(蚊取り線香)出してもらうが。……デング熱にならなくてよかった。

グレースが朝ごはんの用意してくれる。イエン先生がやってくる。
f:id:kazumi_nogi:20190811120157j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811120240j:plain
今年、パヤタス校の、朝のクラスは9時から11時。3-4歳の29人が登録。
まず、歌ったりお遊戯したり。それから色の学習(この日はピンク)とぬりえ、おえかき。レティ先生も教室に車いすで出てきて、子どもに声掛けしている。それから、子どもたちがテレビの教育番組のアニメを見ている間、イエン先生はノートチェック。それからおやつ、休憩のあと、言葉の学習。この日はタガログ語のiからはじまる言葉。私も覚えた。ibon イボン 鳥。11時。子どもたちは、さようならの挨拶をして、迎えに来た母親たちと帰っていく。
今年、パヤタス校の先生はイエン先生ひとり。途中で、奨学生が来てアシスタントをする。マイケルは今年からカレッジに通っている。専攻は農業。

f:id:kazumi_nogi:20190811120658j:plain
去年までは給食があったが、今年はない。奨学生をサポートしてくれているスイスのグループが支援してくれていたが、今年は給食の支援は断った。先生が少なくて、給食を作る人手がない。小さい子たちばかりなので、食べても吐いたりするし、食事のケアはなかなか大変。それに、子どもたちは自宅からおやつをもってくる。
(その分を、先生の給料や、学校の電気代や備品など自由に使わせてもらえるといいのだが、そう簡単ではないみたいで、いまのところ、学校の資金不足を補ってもらえるような話にはなっていない。)
つまり、先生たちの給料をあげることができない(公立学校の教師の3分の1~4分の1しか払えていない)かわりに、給食の仕事を減らした、というところ。
ちなみに、レティ校長は、無給。息子たちのサポートで身の回りのことはやりくりしている。去年のクリスマスはお金が足りなくて、先生たちに払うボーナスが準備できなかった。例年、一か月分のサラリーをボーナスとして払うのだが、できなくて、息子のジェイが、なんとか2000ペソずつ、先生たちに出してくれたらしい。
ダニエル先生は、こんなにも薄給では家族をサポートすることもできないので、パアラランをやめて、いまは商店で働いている。

午後のクラスは1時から3時半。4-5歳の31人が登録。
最初に歌。それから出欠をとる。いない子は、他の子が「欠席!」と返事している。
色の学習。この日はピンク。母音aeiの発音の練習と復習。iではじまる言葉。
午後から来ていた新しい奨学生のグエンが、子どもたちにibon(鳥)のお話の絵本を読み聞かせ。グエンは初等教育専攻の2年生。お話、とっても上手だ。それから、Iiの文字を書く練習。あっというまに、ノートいっぱいにIiを書く子もいれば、鉛筆を持つのがむずかしい子もいる。子どもたちの文字は、それぞれに不思議な暗号に見えて面白い。イエン先生とマイケルとグエン、それから私の息子も、子どもたちに手をそえて、一緒に書いている。Ii。
ひとり、お母さんがクラスにいて、クラスの活動に入ってゆけない男の子の傍らで、サポートしていた。その様子はとても他人事と思えないが、私の息子は、ノートに「ぼくに似たやつが2名」とメモしていた。

 f:id:kazumi_nogi:20190811121220j:plain f:id:kazumi_nogi:20190811123219j:plain

そういえば、去年、午後のクラスにいた、私の息子にほんとによく似ていたアイヴァンは、午前のクラスだった1年目は、教室を歩き回ってまったくじっとしていなかったが、2年目はクラスの活動には参加しなくても、教室で落ち着いて過ごせるようになり、それからすばらしく成長して、しっかりした子どもになってパアラランを卒業、公立のキンダーガーデンに通っている、という。

3-5歳の幼児教育の大切さは、このあたりの親たちにも周知されてきたのだろう、5歳になったら公立のキンダーガーデンに行けるのだからそれでいいじゃないか、というふうにはならなかった。レティ先生の話では、資金難なので、パヤタス校を閉鎖してはどうかと、息子が提案したが、このあたりに、3-5歳児を受け入れる施設は、パアラランともうひとつ、たった2校しかない。もうひとつのほうは、1日に3セクションもうけて、子どもたちを受け入れている。パアラランは午前午後の2セクション、60人で精一杯だが。閉じることはできない。この地域の子どもたちにとって必要だから。

ずっと以前、私たちが支援をはじめた25年前もレティ先生は同じことを言っていた。「お金がない。でも子どもたちが来るから閉じられない。」
シンプルである。この人は全然変わらない。パアララン・パンタオ、今年開校30年。

クラスのあと、放課後の教室で、イエン先生と奨学生たち、明日のクラスの準備。それから掃除。5時頃、帰っていった。
パヤタス校にいるときの私たちの食事は、イエンとグレースが、交互につくってくれた。息子、家庭科の調理の宿題を、アドボとシニガンスープにしよう、と思いついた。少しだけ慣れてきたフィリピン料理。レティ先生にレシピを聞いてメモしていた。

彼は、夏休みの宿題をひとやま抱えてきているが、野球中継もない、インターネットもない環境のなかで、さぞかし進むだろうと思ったら、全然。
息子が言うには、空気が違う、質感も匂いも、まわりの言語も、物音も違う、食べ物も違う、彼は去年に続いて2度目の滞在なのだが、五感全部が衝撃を受けて、それを耐えているのが精いっぱいで、疲れてだるくて、宿題どころではない、らしい。夜は、電子辞書読んだり、まんが(日本の漫画の英訳コミック。絵本の棚に1冊あった)読んだり。それでも、英語の宿題は、滞在中に終わらせていたか。

f:id:kazumi_nogi:20190811121549j:plain

教室の天井は穴が開いている。去年よりひどくなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休み!

夏休みになって、はや1週間。
午前4時50分になると、向かいの森のセミがいっせいに鳴きだし、鳥が鳴き、夕暮れになると蛙も鳴く。にぎやかだ。ムカデを2匹、ゴキブリを5匹ほど見つけて殺した。畑のブルーベリーが食べきれないほど採れる。

f:id:kazumi_nogi:20190731020507j:plain f:id:kazumi_nogi:20190731020614j:plain 


三者懇に行くと、成績とか見せられましたけども、数学とびぬけて悪いのに、担任は不思議なことを言った。「彼が数学ができないという印象はないのです。なのになぜ、試験で点数が取れないのだろうと」「答案はびっしり書いているのに、正答ではないようなときがあって、見ていたら、他の数学の先生もきて、名前をみて、彼なら、何か別の解き方を発見したのかもしれない、というのでふたりでずっと見て、やっぱり違うか、ということがあったんですけど」って、それは何の誤解でしょうか。
母の目からは、頭のどこかが雑で、ざるのようで、そのざるから、数字が消えていくのだとしか見えないんですけど。怠け者だし丁寧さに欠けるし。それで成績よかったら不思議だけど。
息子、学校ではしっかり猫をかぶっているらしい。

月曜日、夏休みのボランティア活動があって、平和公園周辺で、外国人観光客に英語でガイドをするというもの。集合時間は10時なのに、早朝6時に家を出た。
で、何をしていたかというと、久しぶりの市内で、早朝から、市内電車の撮影をしていたらしい。いろんな種類の電車走っているので、被爆電車とか京都の市電とか、たぶん1時間半くらいは電車眺めてしあわせだったのだろう。夜、パパとふたりでビデオ再生して眺めていたわ。えんえんと電車が走っているだけの映像を。
で、ガイドのボランティア、1時間半ほどのノルマを果たしたあとは、友だちと鉄道模型で遊んで帰る、と。

息子、毎日、カープの試合ばっか見てるけど。夏休みの宿題と休みあけの試験の心配は、私はもうしないからな。いまいましい野球だが、甲子園、宇和島東の出場が決まって、それは私はたいへんうれしい。

フィリピン行きの準備をばたばた。いまから寝て目が覚めたら出発します。息子連れ。来週帰国したら、そのあと山口に帰省、そのあと、宇和島に帰省。
怒涛の夏休み。

暑中お見舞い申し上げます。
 

 

数字化け

高校生になって、すでに2度目の模擬テストがあった。

自己採点を終えて、帰ってきた息子が言った。「ぼくは確信した。ぼくは数学がわからないんじゃない。数字が苦手なんだ」
つまり。
1度目の模試では、数字の6が途中で9に変わってしまった(9が6に、だったかも)。これで20点減だったのかな。
2度目の模試では、数字の3が、途中で消えてしまった、らしい。大問まるごと落として25点減。
悔しすぎて泣けない。
弱点がわかったのはよかったんじゃないの。気をつけるしかない。

数学は、定期考査もぼろぼろだった。図形やグラフがあるものはいいのだが、式の計算は、先が見えなくて不安に飲み込まれてしまう。

そういえば、私の先輩で、カタカナが苦手という人がいた。カタカナが読みづらくて覚えづらくて、地理や世界史がつらかった。私はアルファベットが苦手だった。bとdの向きが、どっちがどっちかわからなくなって、胸が苦しくなった。
あ、なんか6と9を間違えるのに似ているかも。

そういえば、10+5=15とわかっても、10円と5円のお金を見せたら、105円、と言っていた幼稚園の頃。見える数字にひきずられたんだな。

英語と国語は悪くないんだが。

しかしながら理系志望で、担任が数学担当。夏休み前の懇談会の話題は、数学どうするの、って話になりますかね。憂鬱なことで。

字が、あいかわらず薄くて小さくて、読みづらい。数字も消えようというものだ、と思うが、字を大きく丁寧に書こうとすると、今度は頭が働かない。

それは私もそうなのだ。字を書くのは早いがとても雑。丁寧に書こうとすると、ゆっくりになる、そうすると誤字脱字だらけになる。

彼はまた筆圧が弱い。小さい頃からずっと。ついでに包丁もあぶなっかしい。力の入れ具合が正しくない感じがする。大きくなればなんとかなるかと思ったが、なんともなってない不器用さ。体力測定は学年男子ワースト3だった。

ついでに視力悪化。眼鏡を買った。ところが、眼鏡をかけると、感覚が違ってきて吐きそうな感じがして、眼鏡をかけて歩くのがこわい。授業で黒板を見るときだけかけている。

息子とスーパーにいたとき、幼稚園と小学校と音楽教室が一緒だった男子のお母さんに会った。おしゃべり。工作が好きだった男の子は工業高校に進学して、すでに危険物取扱の試験を受けたらしい。
休日に、仲間たちと自転車で隣県まで遠出しているという友だちが、もう社会に向かって歩き出している感じがして、息子はふと、自分たちの姿がたよりなく思えたらしい。「同じ高校生なのに、ぼくも、うちの学校の人らも幼いよね」とつぶやいていた。

あはれ花びらながれ

雑誌「みらいらん」4号(洪水企画)が届いた。

http://www.kozui.net/frame-top.htm

 

特集は田村隆一

「空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある」

詩「四千の日と夜」は高校生のときに読んだのだった。とてもかっこいいものを読んだと思い、そして、どういえばいいか、スフィンクスのなぞなぞに出会ってしまったような感じがした。いつか私も、そのような「野」が見えるようになるかしら、もしなれないとしたら、そんな人生は絶望でしかないのではないかと、不安だった。
……そんなことを、ふいに思い出した。

古居みずえさんへのインタビュー記事もよかった。古居さんのパレスチナの映像はすごく好き。対象との対話の仕方がとても人間的でほっとする。悲惨な現実のなかに分け入っていきながら。たぶん、だからこそ。

河津聖恵さんの詩は若沖について。

「途轍もないまぼろしは細部から手なづけるしかない」
「檻を描きつづければ神のけものたちはそこにおのずと降臨する」
「格子の向こうではなく小さな正方形一つ一つの内部に/未知の怒りをたたえ」

という世界観が、すっすっと心に入ってくるのが快い。

私も書かせてもらっているので貼ります。たどたどしいものを、自由に書かせてもらえてありがたく。

f:id:kazumi_nogi:20190710024838j:plain

 

 

人間模様

女の子たちはなんとかした。
金曜日の夕方のうちに、隣人は、畑の網を張りなおしたらしい。360度、緑色のネットで二重に覆って要塞化していた。
この3日間、鹿子は来ていない模様。上段の隣の畑に入らなければ、うちの畑にもまず入ってこない。1.6メートルのあたりまで合歓の葉の食い尽くされていたのが、おずおずと新芽が伸びている。
鹿子、このへんであきらめてくれるといいと思う。
雨が降れば、森にもすこし食べものが育つと思うんだけど。

女の子たちはなんとかした。
文化祭。準備が間に合いそうにも思えなかったお化け屋敷も、当日朝には、なんとかなっていて、大盛況だった。高校の文化祭はいいよ、と前日まで文句たらたらだった息子が朗らかに帰ってきた。何がよかったのと聞いたら、先生や教育実習生からジュースやアイスクリームの差し入れがあったから、らしい。拍子抜けするような単純さだな。

ただ、前日、隣のクラスの友だちが帰ろうとしたら、彼はクラスの男子に「なんで帰るんだよ」と引き止められて、なかなか大変な言い争いになったらしく、
眼前で繰り広げられたそういう光景に、息子はうんざりしていた。
息子は、さぼって帰ろうとした男子と仲が良い。でも、ひきとめたほうの男子は、中1のとき、息子が同級生にいじめられたときに、いじめたやつに立ち向かってくれた子でもある。
人間模様は単純ではないのだった。

私もなんとかした。
制服リサイクルの教室前で、30分前から列に並んだ。先頭から10人以内のところにつけたのだが、それでも男子の制服は出品が少なくて、かろうじてセーターだけ(今もっているのは破れてほつれているのだが、破れていないやつ見っけ)入手、あとはあきらめていたところに、ほしいサイズのズボンがぽんと戻されてきた。急いで手を伸ばした。冬ズボン入手。これは上出来。2つで700円。助かった。
バザーでは、プリンターのインクを30円(!)、傘を80円、ほか洗剤など買った。

荷物かさばるので、とっとと帰った。

そうして思い出そうとしてみるのだが、私は文化祭の記憶がない。体育祭は、いやでいやでいやでいやでいやだった記憶が苦く苦くあるが、文化祭は記憶そのものがまったくない。たぶんいやでもないが楽しくもなかったのだろう。中一の文化祭の日に、小学校のときに仲良しだった友達が病気で死んだことを知らされたのが、唯一の思い出。

☆☆

所沢の中学2年同士の殺人事件は、へんに身近に感じられて恐ろしい。

わが家は小学校からも離れていたし、坂の上の不便なところにあるが、それでも、近くの子たちが遊びに来たりしていた。友だち、と呼ぶしかないが、ほかに行き場のない上級生同級生下級生がやってくる感じだったとき、彼らの関係性から、目が離せなかった。彼らのわがままと、それを拒めない息子の気持ちの負担とを考え併せて、家に遊びに来ることを禁じたことがあるけれど。……そんなことを思い出したりした。
そこは、大人が介入しないといけなかったと思う。
それから数年たって、同級生だった子とは、今は、たまに道で会うと、ふつうにおしゃべりできる関係ではあるみたいだ。ふたりとも、すこしは大人になったのだろう。

子どもの人間関係は、けっこうはらはらさせられるものを抱えていると思う。中学になって、最初に仲良くなった子に、暴言吐かれたり蹴られたりするようになったとき、息子はショックを受けていたが、まあそういうことはあるだろうなと思った。すぐに学校に言ったけど。それから2年間は顔もあわさないようにしていたが、最近は、ふつうに話をすることもある。が、距離はとっているし、(息子は)油断はしていない、らしい。

心配するほどのトラブルではないのか、本人に任せて大丈夫か、親がものを言ったほうがいいかの見極めは難しいと思うんだけど、私も対応が遅れたり間違ったりしてきたと思うんだけど(そういうことを思い出すと、胸が痛い)、でもきっと、大人はもっと、見ていなければならないのだろうと思う。暴力を拒む注意深さを、もっとしっかりもたなければいけないのだと思う。


暴力は蔓延している。被害者は加害者になるし、加害者は被害者になる。中学2年って……殺された子も殺した子も、かわいそうでならない。

 

 

 

 

鹿子、跳べ

うちの畑で遊ぶだけにしておけばいいものを。
鹿子、上の段の隣の畑のいもの葉を食ったから、隣のおばさんが、鹿よけのネット張りに乗り出した。

鹿子はしかし、私が1メートル50センチの高さに張ったネットを助走なしで飛び越えている。糞と足跡を残しているのでわかる。見事なものなのだ。勝てる気がしない。

でも、上の段のネット張りをした隣人が、「おたくから上がってきたら困る」というので、隣人の望むところにネットを張る。(でもいままで鹿子は、上の畑からこちらに降りてきていたのだ)
そこが体当たりで破られた。そこは鹿子の逃げるルートでもあったのだが。おばさん、「網をきちんと張っていないからよ」と怒るので、網を二重に張る。これを越えられたら知らんよ。
私はこれ以上の対策をする気はない。それに、鹿子が隣の畑を食ったのは、私のせいではない。私に向かって怒んないでほしいと思う。

だいたい、管理放棄の空地を勝手に使っているだけなので、そもそも私たちと鹿子たちは、同じ立場だと思う。食われたらしょうがないと思う。

私は鹿子より人間がめんどくさいよ。

さて鹿子、匂いのある草は食べないみたい。セロリもパセリも食べない。パクチーも、そこらじゅうに生えているヨモギも、ミントも。でもニラは食べている。

収穫期のミニトマトと、まもなく収穫のブルーベリーは、鳥よけネットで大丈夫そう。

f:id:kazumi_nogi:20190705030815j:plain

息子の学校は明日から文化祭。クラスの出し物の準備が進んでないというから、もっと遅くなるかと思ったら、わりと早く帰ってきた。途中でひきあげてきたのだそうである。いいの?ってきいたら、男子の責任者に許可もらったからいいんだって。その男子の責任者も一緒に帰ったんだって。
女子の多いクラスで、ほぼほぼ、女子が仕切ってるんだが、それが、設計図もないし、女子たちの頭の中にイメージはあるのかもしれないが何があるかわかんないし、指示系統もあやふやだし、女子の責任者たちへんにぴりぴりしてるし、洪水ちゃんが意味不明な言動でひんしゅく買ってるし、とてもあんななかにいられない、という。
何していいかわかんないので、段ボールの整理整頓だけ、完璧にして帰ってきた、そうである。

そうね、若くても若くなくても、ときどき女の子たちはぴりぴりしてこわい。

お化け屋敷、するらしい。

土曜日の一般公開の日に、早く行って、制服リサイクルの列に並ぶのが私の仕事。ブレザー(3年前のリサイクルで買った)は来年までいけるとして、ズボン(2年前のリサイクルで買った)は次のサイズが要ると思う。適当なサイズがあればいいが、去年は豪雨で中止だったので、買えていない。最大2点しか買えないので、今年買えないと、高くつくはめになるかも。