寒天


 父方の祖母に最後に会ったのは、6年前の正月だった。帰省したら、たまたま弟も帰省していて、むりやり連れて行かれたような格好だった。
 弟は人なつっこくて、何年何十年会っていなくても、気軽に親戚の家を訪ねていく。私はそうではない。18歳で家を出たあとは、なんだか夢のように、おじおばの名前もいとこの名前も、家のあった場所もすっかり忘れた。
 祖母は近くに住んでいたから忘れることはなかったが、帰省しても訪ねたりはしなかった。会えば小言をきくだけのことと、気持ちがひるんだ。文句を言われたところで、私は私の人生をどうしようもないのである。祖母を喜ばせられるような言葉も振る舞いも、もちあわせていないと思った。
 そうして、10年ぶりくらいに会った祖母は、すでに90歳を何歳か越えていて、私が誰だかわからなかった。ようやく思い出すと、今度は私の手をとって、「生きとるうちにはもう会えんかと思うとったあ」とはらはら涙を流すのだった。翌年の冬、祖母は死んだ。

 子どもの頃、正月や節句、あれこれのお祭りのときには、祖母のつくった卵の寒天が食卓にあった。甘くなくて、どれだけ食べても飽きなかった。おいしかったのだ。
 あの寒天を食べたい、と今朝ふいに思い、二度と食べられないものがあることに、今さらながら気づいたりする。