生まれてバンザイ


 俵万智の歌集『プーさんの鼻』はまだ読んでいない。近くの図書館に探しに行ったけれどなかった。その歌集が気になっているのは、彼女の息子と私の息子の誕生日が2日違いのせい。たぶん、生まれた子について、私が見落としたこと、気づかなかったこと、言葉にできなかったことを、彼女らしい肯定感で記録してくれているのだろうと、なんとなく頼りに思っていたりする。
 「バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ」の歌を、『プーさんの鼻』の広告か何かで見たとき、まいったなあ、と思った。あまりにもそのとおりで。
 そこにたどりつくほかない単純さで、そこにたどりついている歌。生まれたことは、バンザイのほかではありえない、と、そう思える地平へ、自らを歩ませていくしかない、とは産んでみてわかったこと。

 天皇家のご懐妊のニュースで、妊娠していた頃のことなど思い出した。妊娠がわかったのがちょうど、3年前の3月、イラク戦争がはじまった日で、胎児の映像を見たあとに空爆の映像を見た。こんなに人をばかにした話があるかしらと思った。私がこれから産もうとしているのに、なんで殺すのよ。一瞬、空爆が私の胎児を狙って落ちてくる気がしたことを、忘れないと思う。