Mのこと


 マニラ在住の友人が一時帰国しているので会う。夏休みに個人またはスタディツアーで訪問する人たちの案内など、いろいろと大変なことも引き受けてもらって、そのうえにあれこれのお願いごともあって、ほんとうに感謝です。

 Mという女の子の近況を聞く。ゴミの山で育った子だ。10年前、ゴミの山の麓のフリースクールに通っていた頃のことを覚えている。あれからハイスクールにすすんで、スポンサーを得て、大学にも通っていたのだが、スポンサーがフィリピンでの仕事を引き払ったらしく、支援も途絶えて、彼女は大学に通えなくなっている、という。せっかく入学したのだ、なんとか続けさせてあげられないだろうか、と考える。学費が年間5万円ほど、交通費その他が5万円ほど。

 10年くらい前のことだ、ゴミの山の周辺を歩いていて、道に迷った。ゴミ山の麓の集落の細い路地は、雨でぬかるんでいて、まともに歩けるようでもなかったが、どうやってそこから抜け出ればいいのだろうと、不安になってきたときに、12歳か13歳くらいだったMの、とてもまぶしい笑顔に出会った。
 ここがあなたの家だったの、と言いかけて、ふいにつらくなった。家と呼ぶのがためらわれるような掘っ立て小屋、私が、はやくこのぬかるみから出ていきたい、と思った、そのぬかるみのただなかに、彼女の家があった。あのとき「学校へ帰りたい」と言うと、Mは私の手を引いて、ぬかるんだ路地から連れ出してくれて、自分が通学路にしている比較的歩きやすい道を教えてくれた。
 あのあたり、あれからずいぶんかわって、今もスラムであるにはかわりないが、崩落事故のあとの立ち退きで多くの家族が移住していった。でも一方で新しい掘っ立て小屋もできていたりした。Mの一家はどうしているのだろう。一緒にフリースクールに通っていたお姉さんは。あのとき、あのぬかるんだ路地の家で、おだやかに微笑んでいたお婆さんは。

 あの土地に、もう何年行ってないのだろう。なつかしい人たちに会いたい。