海にお船を浮かばせて


 水族館は海に面してあって、関門海峡をたくさんの船が行き来するのを、しばらく子どもと一緒に見ていた。「海」の歌をいっしょに歌った。「海にお船を浮かばせて行ってみたいなよその国」

 はじめて外国に行ったのはこの海からだった。もう20年ほども前だ。往復の交通費とわずかの小遣いだけをもったひとり旅。きっともう時効だから書きます。
 釜山へ向かう船には、たくさんの荷物を抱えた女の人たちが乗り込んでいた。日韓を往復して行商をしている人たちで、ポッタリジャンサ(風呂敷商売)というのだと、あとで知った。女の人たちは、船のなかで、あれこれの荷物を並べて、互いに見せあい、批評していた。
 ひとりの女の人と私は親しくなった。張さんという、30代か40代くらいのきれいな人で、衣類や小さなテープレコーダーを私は預かった。でも預かった、と言ってはいけない。友だちへのプレゼントといいなさい。ポッタリジャンサの品物は多くが税関で没収されてしまう。没収を免れるために、張さんは身軽そうな私に目をつけたのだ。報酬は、免税のウィスキーを向こうで売ったその差額、ということだった。
 税関で荷物のなかはくまなく探られ、私は教えられたとおりに「友だちへのプレゼント」と答えた。張さんたちは韓国人用のゲートにいた。船のなかではシャツ一枚だった女の人たちが、ひとり残らずぶくぶくに着膨れて、10月というのにコートの重ね着までしていたのは、少しでも税関の没収を免れるためなのだろう。
 税関を出て、張さんに荷物を返し、数千円を受けとって、私は右も左もわからない知り合いもいない釜山の街でひとりになった。知っていた韓国語は8つだけだった。それから釜山、慶州、夾川、ソウルをまわって、一週間後に再び釜山の港にもどったとき、手帳には出会った人たち36人の名前があった。あれは、ほんとうに楽しい旅だった。

 海沿いのテラスを、子どもは興味の向くまま走っていく。いつかきみも、この海の向こうへ行ってごらん。