電卓とらっきょう


 週末は山口だった。子どもは、「こんにちは」「ありぎぎと(ありがとう)」「おはよう」「いただきます」「ごちそうさまでした」の挨拶ができるようになっていて、おじいちゃんおばあちゃんを安心、感心させていた。教えた覚えはないのに「しつれいします」「こちらこそ」などとひとりで言っているのが、面白い。

 土曜日は下関の水族館「海響館」に行った。そういえば去年の夏も行った。去年は子どもは魚を(とりわけ大きいのを)こわがって、でも、金魚だけは喜んで、ずっと金魚のところにいた。
 今年は「さかな、さかな」と喜んだのは最初だけ。イルカショーよりも何よりも、休憩スペースのパソコンが気にいって、あざらしのアニメが出てくるのを見たり、さかなの色を塗るお絵かきソフトで、長いこと遊んでいた。スプーンも上手にもてなくて、ママに食べさせてもらっている子が、生意気にパソコンのマウスをかちゃかちゃ動かして遊ぶのである。売店の前を通ったときに目ざとく見つけたのは、蛙のかたちの電卓。つかんで離さないので、おばあちゃんが買ってくれた。電卓大好きなのだ。
 蛙の電卓をかちゃかちゃ叩いているのを見ていると、2歳の幼児というより、ゲームに没頭している少年という感じで、なんだか先が思いやられる。

 義母と、らっきょうの皮剥きをする。そういう細かい作業は嫌いじゃない。「剥いた分はもって帰っていいよ」と義母が言ってくれるが、でも、いらない。「漬かった頃に分けてください」と応える。
 思えば、子どもの頃、梅干もらっきょうも家で漬けていた。梅酒もあった。祖母の家の庭では、ザルの上にいろんなものが干されていた。お茶の葉だったりあれこれの山菜だったり。
 祖母や母たちがあたりまえにしていたことを、何にも受け継がずにきた、とあらためて思う。女たちが連綿と続けてきた暮らしの文化の多くが、私のところで消えている。
 1日じゅうを、家族の衣食住の世話で明け暮れるなんてまっぴらごめん。台所になんて近寄りたくもない。女の子のくせに、という言葉が何より嫌いな10代だった。そうして18歳で家を出た。
 らっきょうの皮むきなんて、小学校の頃にしたことがあるかしら。もしかしたら、はじめて。