消えてゆく光景

 「書いておかなければ、消えてしまうよ」と、あれは司修さんに言われたのだった。
 司さんの挿絵の載った古い絵本を手に入れたとき(捨てられようとしていたのを拾ったのだが)、知人が司さんを知っているというので、頼んで、サインをもらいにいった。そのときに、フィリピンのゴミの山の学校の話などして、もちろん書いておかなければ、と思っていたけれど、まだまだ消えたりしない、と思っていたのに、あれから何年たったんだろう、信じられないけれど、ほんとうに消えようとしている。
 
 ゴミ山拡張のために、周辺地域の家々の立ち退き、取り壊しがはじまっている。マニラにいる友人の日記に、写真が載っているのを見た。学校をのこして、あたりはすっかりゴミの山だ。隣人たちはすでに立ち退きをすませ、立ち退いたあとは、家々は一瞬で取り壊されてしまったろう。学校もたぶん、年内かぎり。
 あのなつかしい建物。すこしずつの寄付で、雨漏りのする屋根をなおし、壁にペンキを塗り、水道をひき、電気をひき、給食のためのキッチンをつくり、採光の悪い窓に硝子を入れ、すこしずつすこしずつ、整えてきた小さな建物、毎年、100人から200人の子どもたちが通ってきていた学校。
 それがいま、ゴミの山のなかに、ぽつんと残されている、その写真を見たときには、やっぱり胸がつまった。
 
 1994年から2002年にかけて、毎年半月から1か月、その学校に滞在した。その記録は下記に。「ゴミの山で生きて、学んで、笑って」。
 
 その後、子どもを妊娠してから行けないでいるうちに、歳月は過ぎて、ようやく来週フィリピンに行くのだが、あのなつかしい土地は、もうないのだ、と思うとやっぱりせつない。最期に一目、あのなつかしい建物を見ることができるといいのだが。
 あとはもう、学校の移転が順調にすすみますように。(移転先は決まっているが、校舎はできていないらしい)。学校の支援は、断固続けます。