張のお母さんの死

 張のお母さん、と呼んでいた人だった。15日に亡くなった。交通事故。にわかに信じられないが、思えばずっと、お母さんには驚かされてばかりだった。はじめて会ったのは、学生のときだから、もう24年ほどにもなる。私の母親は18歳のときに死んでいるので、自分の母親をお母さんと呼んだ歳月よりも長い歳月を、お母さんと呼んできたのだと、気づいてまた驚いたりしている。その人が亡くなった。
 韓国人被爆者の被爆体験の聞き書きに取り組んでいた頃、取材対象者のひとりがお母さんだった。その頃はまだ日本名で、ふつうの主婦だったのだ。たしか、お母さんを取材するときではなくて、別の人の取材に同行してもらったのが出会った最初だった。話を聞かせてもらううちに、こちらの素性もばれてしまうのだが、母親が死んでいること、一人暮らしで仕送りがないことは、お母さんを心配させるに十分だったらしい。聞き書きの作業が終ったあとも、電話がかかってきて、鍋や靴や古着を持たせてくれたりした。
 被爆体験を自分で書こうとして、思うように書けなかったとき、お母さんは自分の学のなさが悔しく情けなかった。50歳を過ぎて夜間中学夜間高校で学び、広島大学に社会人入学したと聞いたときには本当に驚いた。「あんたの後輩になったんよ」と笑っていた。夜中に、夫に叱られないように、電灯をふとんのなかに抱え込んで、ふとんにもぐって受験勉強したんだと言っていた。金史良の小説を読みたいというので、コピーして手もとにもっていたものを貸したら、闘病中だったご主人が、子どもの頃の朝鮮の光景が書かれてあるのをなつかしがって読んでいたと、亡くなったあとに言ってくれた。
 それから私が東京に行ったあとも、上京する度、連絡をくれた。お母さんは、大学入学を機に、本名を名乗るようになったのだが、本名で生きはじめてからの人生が、凄かった。大学を卒業したあとは、高校の教師になって、それにも驚いたけれど、いつのまにか平和運動家という肩書きで、国内のあちこちで、それから韓国でも、講演の要請がひきもきらず、被爆のこと、公民権運動のこと、なんだか大忙しの人生になっていた。ボランティア活動もはじめていて、私がまだゴミの山の学校の支援をはじめて間もない頃、とにかく現場に行かなきゃと、娘さんたちと来てくれて、それから十年間、最大の支援を続けてくれた。余計なことは言わず、必要な手は打ってくれる。ゴミの山が崩壊してたくさんの犠牲者が出た事故のあとに、私が現地に行くときは、現金10万円をもたせてくれて、あの現金は、ありがたかったのだ。
 私が広島にもどったあと、うちに遊びに来てくれたときに、お母さんがもってきてくれた時計は、いまも冷蔵庫の上で動いている。子どもが生まれたときは病院にまで来てくれた。ボランティアの会合で、去年会ったのが最後になった。お母さんのアパートの前を車で通る度、玄関のところの鉢植えの緑がきれいなのを車の窓から見ては、お母さん元気なんだろうなと、思っていたんだった。
 願兼於業(がんけんおごう)という仏法の言葉が好きで、願いが業を兼ねるということ、貧困も差別も被爆も、果たすべき使命があって、願ってこのような宿業をもって生まれたのだという、信じた言葉そのものを生きたような、圧倒的な後半生だった。
 たくさん心配もかけたんだが、自分が生きている同じ地上に、このような人がいてくれるというのは、深い励ましでありつづけた。情熱の純粋と、身を惜しまず働くことと。お母さん、もっとゆっくりすればいいのに、と怠け者の私はいつも思っていた。あっけないような、潔いような、突然の死。

女性(74)死亡 車の下敷きに…<2/15 19:44>
 きょう正午過ぎ、広島市の中心部で74歳の女性が、駐車場にバックして入ろうとした車にはねられ死亡しました。
 事故があったのは広島市中区基町の市道です。午後0時半ごろ、58歳の男性会社員が運転する車が道路脇の駐車場に入ろうとバックしたところ、うしろを歩いていた女性をはねました。この事故で、県立高校の非常勤講師で韓国籍の張福順さん(74)が下敷きになり病院に運ばれましたが、頭を強く打って、まもなく死亡しました。警察は車を運転していた広島市××の会社員××××容疑者(58)を業務上過失致死で逮捕しました。××容疑者は「アクセルを強く踏みすぎた」と話しています。

 昨日、お通夜だった。昔、被爆体験を話してくれたときのように、事故のことについても、いまこうして死んでいることについても、いつか話してくれるんじゃないかという気が、しきりにした。
 棺のなかのお母さんは微笑んでいて、微笑んで死んでいる人を見たのはふたり目。私の母とこのお母さんと。はじめて死者を見て、焼香というものをした私の3歳の子どもは、棺をのぞいて、「おばあちゃん、ばいばい」と言った。
 お母さん、しばらくゆっくり休んでください。ありがとうございました。