悪夢を超えて

雨音の激しさで目が覚めた。
ふとんには、ちびさんが雨を降らせていた。おねしょマンめ!

台風の雨が一週間降り続いたせいで、ゴミ山が崩落し、二百人を超える死者、数百名の行方不明者を出したのは、2000年7月のことだった。
惨事の二週間後に私は現地にいて、被災地を歩きまわったり、避難センターの子どもたちと遊んだりしていた。パアララン・パンタオの生徒たち23名は見つからなかった。休みの日にレティ先生と探して歩いた。
あのときの光景が、しきりに思い出される。
ミャンマーのサイクロン、中国の地震、あいつぐ惨事のせいだ。

あのとき、学校に滞在していて、夜になると、夢を見た。ふるさとに帰るとふるさとが瓦礫の山になっているとか、ぎゅうぎゅうづめの避難所に押し込められているとか、そんな夢。自分の涙が耳に入った感触で目が覚めたりしていた。ほんとに毎晩、夢見て泣いた。

透明な、ちいさな子どもたちが、学校にもどってきて、何かをいっしょうけんめいに探している気配を感じた。

そうだ、あのときに夢のなかで見た光景のようだった。テレビ画面に写される地震で壊れた町。
それでまた、あのときに見たような夢を、こわくて詳しく書く勇気がないのだが、また最近も見た。夢のなかの自分の(でも本当はだれのだろう)慟哭の声にゆさぶられて、目が覚めたりした。
夢でよかった、と思うよりも、私の見た悪夢が、この星の別の「わたし」の現実であるということが、ただもう、怖ろしい。

知人からのメールは、ミャンマーの被災地が軍によって立入禁止区域とされ、ほとんど見捨てられた状態であると伝えていた。

この星の、悪夢そのものの残酷さは、いったい何なんだろう。

ゴミ山崩落惨事から二週間後の写真。死者行方不明者はもう探されもせず、ブルドーザーがゴミの山を均していた。
死んだ兄弟たちのために、夜、ろうそくをともす子どもたちがいた。マッチで火をなかなか点けられないでいたので、私がもっていたライターでつけた。
避難センターで遊んだ子どもたち。手をつないで輪になって、「女王が踊るよ」と歌い続け、踊りつづけた。めまいがするほど、遊んだ。