秋葉原

きれいな地名なのに。

ちょうど読み終えた「ワーキング・プア」(角倉貴史著・宝島新書)という本。今さらと思いつつ、親しみをもって読みました。18歳からひとり暮らしの私もそうであったので、学生のころは年収50万とか60万とか(時給500円の皿洗いを月に100時間して月5万円くらい)、東京にいた頃だって、年収100万円せいぜい150万円程度で暮らしていたし、それはもう、生きてるだけで精いっぱい。本を買ったら食事を抜く、ひもじかったら煙草でごまかす。

よく私、壊れもせずに、生きのびて、ゴミの山の学校のボランティアなんかして、結婚して子どもなんか生んだもんだと、ため息出たわ。

東京に行って間もないころだった、地下鉄のどこかの駅で、それから秋葉原で、言いようのない絶望感に襲われて、叫びだしたくなったことがあった。一緒にいた男は、そんなことに気づきもせず、もたもた歩いている私に苛立たしそうにしていて、私には男が、得体の知れない都市の風景の一部分に見えた。
たぶん何かは壊れていたし、つなぎとめている何かが嘘だったし、壊れているものを、本当に粉々に壊してしまうために一緒にいたんだろう。

後になって、地下鉄にサリンが撒かれたときに、ああ、やっぱり地下鉄、と思った。
秋葉原も、ああやっぱり、秋葉原、と思った。

昨日の無差別殺人事件で、一番驚いたのは、事件に驚かなくなっている私自身についてだ。どこかですでに見たことがあるという既視感がざらっと胸を過ぎていく。犯人は、ワーキングプアの仲間であったらしいが。

思い出すのは、永山則夫の連続射殺事件。死者4人。未成年の犯罪であったのに、死刑判決、97年に死刑執行された。中上健次が、永山則夫の事件について長い文章を書いていたのを昔読んだ。

もうすこし遡って、小松川女子高生殺人事件は、私の卒論のテーマのひとつであったけど、死刑になった犯人の少年と朴寿南との往復書簡をまとめた本は、二十歳の私の愛読書だった。

こんな事件は、被害者も加害者も、被害者のようで、かわいそうでかわいそうでかわいそうだ。ほんとうの悪意は、どこかでぬくぬくといい飯食ってる気がする。

昨日の犯人もきっと死刑だろう。この事件はどんなふうに記憶されるんだろうか。

詩人の河津聖恵さんが、昨日の事件のことを、詩のテラスというブログで書いていた。http://furansudo.com/terrace/poemsterrace.html
「事件現場の電気店街の映像は、あまりに乾いている。
 路傍のゴミですらも乾ききっている。」
というフレーズに胸を衝かれた。

本当に、たった昨日の事件なのに、ざらっと乾いていて、なんだか、すでにもう風化がはじまっているみたいに。

東京。10年も暮らしたのだ、私。去年、6年ぶりぐらいに上京したんだけど、かけらほどのなつかしさも、親しみも感じないことに驚いた。10年も暮らしたのに。

↓「私の花」詞、永山則夫。曲、歌、友川かずき