ペネロペの人形(ずっと以前に水色のタオルでつくってやったやつ)を、本棚の上に何げなく置いていたんだけど、ふだんは忘れているくせに、突然思い出したらしい。手が届かないので、椅子を運びながら、
「どうして、おこさまのてのとどかないところに、ほかんするのよう」と文句を言っていた。
「お子様の手の届かないところに保管してください」って、まあ、あれこれの注意書きにはそう書いてあるけど。

「まちをつくったからきてごらん」というので、見に行くと、できていました。積み木と線路と電車と車の町。
Nゲージの鉄道模型の本を見ながら、ありあわせのものでつくってみたらしい。昭和の田舎の町。


まわりに障害児が多かったので、自分も障害児を生むかもしれない、とは思っていた。昔、一緒に暮らした男に、そう言ったら、えらく怯えた顔をして、煙草をやめろとか言った。男の怯えた顔を忘れないが、その怯えに対する不信なのだが、それで私は子どもをつくる気をなくしたし、たばこをやめる気もなくした。結局別れた。

ところがそういうことに全然動じない男がいたもんだ、それで私は煙草やめたり、子ども産んだりすることになったんだけどもさ。

障害児をもった母親は追い詰められやすい。無理解、偏見、なんだってある。世間は絶対にやさしくない。やさしくない世間が、突然正義の顔をして、子どもを殺した母親を、許せない、と言い立てる。人殺しが悪いのはわかりきってる。

障害児の子を10人育ててから言え!
母親と一緒に悩んで泣いてから言え!

と、すこしむかついた。

希望を、与えることもできなかったくせに。