「パパのしろいふくにおはなつけたの」と言っていた。
庭の花を、ワイシャツにセロテープでペタリ。昨日は退屈な雨の日曜日だった。

休みのあとは、幼稚園バスに乗るのがいや。「ひとりでいくのがいや」とか「おともだち、きらい」とか。「うるさいし、けんかするし」。みんなが遊んでいる遊びが、面白いと思えないんだな。「だからぼく、ひとりでおへやににげるの」。「ようちえん、つまんないの」。
でも「じゃあ誰が幼稚園行くの」と言うと、「ぼくがいくの」と責任感なんだかなんなんだか、まあ今日もなんとかバスに乗った。


思えば、身のまわりに、障害児なんていくらでもいた。
従姉の子は脳性麻痺で寝たきりだったし、私の弟は小学校の頃は言語学級に2年、特殊学級(と当時言っていた)に3年間いた。近所にも、母たちの知人の家にも、知的障害の子も難聴の子もいた。
母親たちの苦悩は、たいへんなものがあったと思う。それは子ども心にも見ていて切なかった。

去年、ちびさんが自閉症とかアスペルガーとか診断されて、でもまあ、これは親と同じというだけなので、あっさり開き直っているが、療育仲間のお母さんたちとか見ていると、たくさん泣いたんだろうな、と思うようなこともある。
でもそれ以上に、喜びはあるのに。

福岡の事件、かわいそうに。痛ましい限りだ。
特別支援学級に通っていたというから、きっと何か障害はあったのだろう。育てにくさもあったろう。

たかが子どもの障害ぐらいで、と思う。
その、たかが障害が、親を絶望させるに十分である、という、そのひ弱さが、なんだかすごく無念だ。

障害があろうとどうだろうと、人はなんとか生きていけるものなのに。たとえそれが、どんなに無惨な生と思えても、自ら死んだり殺されたりする以上には無惨ではない。

子どものいのちは、親に結びついている以上に、もっと大きな宇宙の法則のようなものに結びついてあるのだから、死ぬの生きるのは、親が悩むことではないのに。

親は、どんなに悩んだって、子どものかわりに生きられない。
子どもなんて、人生のほんの十数年か数十年間の、客人にすぎないと思う。その与えられた歳月を、一緒に生きてみようか、というほかにない。
いつか、障害のある子を残して死んでゆかなければならないし、でも親がいなくても、子どもは生きていくし、ただしく言えば、生かされていくと思います。

もしかしたら、生かされていく、ということへの信頼が、壊れているような世の中だろうか。