かつて出かける子供がいた  

   かつて出かける子供がいた  ホイットマン

かつて毎日出かけていく子供がいた
そして目をとめた最初のもの、そのものに彼はなった、
そしてその日一日、あるいは一日のある時間、
あるいは何年ものあいだ、あるいはうちつづく幾時代ものあいだ、そのものは彼の一部になっていた。
(以下略)
         『草の葉』岩波文庫


病院通いが続いている。一昨日はY耳鼻科。診察と薬を貰いに行っただけ。ちびさん、さすがにもう泣かない。診察室を出るとき「じゃあ、またね」と振り向いて手を降る。看護師さんたちがみんな手を振ってくれていた。
「ぼく、おおきくなったらYせんせいになる。みみのおいしゃさんになる」と言っていた。

昨日はS小児科。医者さんの机の上のあれこれの器具を指さしては「ぼくは、これ(口のなかをのぞく)はいいけど、これ(耳をのぞく)はいやなんだ」とか、いちいち、うるさい。「ぼくは、ちゅうしゃはいやなんだ」とずーっと言っていたから、されるはずないと思っていたらしく、注射器を用意した看護師さんの前に連れていかれるや、「いやだっていってるでしょおおおおおおおおん」と大泣き、逃げ回るのを押さえこむ。小さいときは泣かなかったのになあ。いまは痛みじゃなくて想像力で泣くんだな、きっと。インフルエンザの予防接種。来週もう一度。

しょうがない。帰りに飴玉買ってやる。
「ぼく、おおきくなったらSせんせいになる。それで、ちゅうしゃするんだ」と言う。それは仕返しですか。注射するのは看護師さんだよ、と言うと、「じゃあぼく、かんごしさんになる」

53歳でお医者さんになって、67歳で消防士さんになって、87歳で幼稚園の先生になって、100歳で自動車屋さんになるらしい。特急列車の運転手さんにも、どこかでなるらしい。30歳とか40歳とかは、勉強するんだって。楽しそうだなあ。

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