歓喜の歌

パアララン・パンタオは、17日(エラプ)と20日(パヤタス)、クリスマス・パーティでした。またご報告いたします。

1994年のクリスマス・パーティのときのこと。2度めの滞在のとき。
あの頃、クリスマス・ツリーも買えなかったから、教室の柱から円錐形にタコ糸を張って、ツリーをつくりました。
パーティには日本の留学生たちも参加して、踊ったり歌を歌った。
ベートーベンの歓喜の歌。
の替え歌も。
私が詞を書いて、留学生が英訳して、友人のフィリピン人がタガログ語訳して、テープに入れたのを、学校で毎日かけて、先生たち生徒たちみんなで歌いました。

「これはシンプルでいい曲だね。だれが作ったの」
と先生たちに訊かれました。
「ベートーベン」「ベートーベン?」
ベートーベンなんて誰も知らなかった。

(ここでは、シンプル、というのは最大のほめ言葉。)

パヤタスの歓喜の歌はこんなの。

マインガイ アン プサ パティナリン アン アソ
マスマインガイ トラック ナン バスーラ
グーニッナギギババウ アーティン ボーセス
ボーセス ナン リガーヤ
スィヌーノッグ アン バスーラ サ スモーキーマウンテン
マイ トゥーノッグ トーン ゴーゴー
スバーリット ウマーパウ アーティン パグィピッグ
ディト サ パヤタス

(猫がうるさい 犬がうるさい ゴミのトラックはもっとうるさい
でもわたしたちの声はもっと大きいよ わたしたちの喜びの声は
スモーキーマウンテンではゴミが燃えている ごうごう音をたてて
わたしたちの愛はもっとはげしく燃えている ここパヤタスで)

感心。私まだ覚えてる。
ああ、思いだした。夜になると教室の天井裏で猫がけんかして、つられて裏庭の犬が鳴いて、朝は4時頃からゴミのトラックが前の道を通って、それでこんな歌詞になったんだ。

あの土地が、あの日々、私にとってあんなにかけがえなく、ありがたかったのは、気どりのない、飾りけのない、見せかけのない、あからさまで率直な、人々の言葉や表情や暮らしや人生が、なにか、とても深い安心感のようなものを与えてくれたからでした。
あの土地のシンプルな人々に魅了された、と思います。一緒にいるのが無条件に楽しかった。

クリスマスのころは乾季で、ゴミ山の煙が教室のなかまで流れこんできたりしていた。毎日、けだるいくらいゆっくりと、時間が流れた。