お正月の遊び/誕生日

子どものころのお正月といえば、3日間寝ずに、というか、寝る間を惜しんで遊んだのである。
1日朝に、母と百人一首をすることからはじまって、叔父が一升瓶と一緒にやってくると、凧揚げぐらいは酔う前にして、あとはトランプ、花札、カブ。それから別の親戚のところに繰り出して、そこでも花札花札。近所の子どもなんかきていれば、かるたとか百人一首とかトランプとか。それからまた花札、カブ、花札花札。マッチ棒がいったりきたりした。
百人一首を母に教わったのは中学生になってからだが、花札は小学生のころから遊んでいた。日頃から叔父がくると、一緒に酒飲んでいたりしたが、正月はもう3日間、ずっと酔っ払っていた。「正月やけん、ええわい」と誰もとがめる人がいないので、私は10歳くらいでコップ酒飲んでいた。どこかで雑魚寝し、目がさめたらまた、大人相手に花札するんである。

従姉の家に集まることが多かったような気がする。従姉夫婦には脳性麻痺で寝たきりの女の子がいた。長屋の片隅。女の子はふじこという名前で、「ふじのたかねにゆきはふりつつ」の札は、誰がとっても、ふじこのものになるのだと決まっていた。

大人たちが本気で遊んでいたのだ。適当に子どもがまじっているのが、また都合がよかったのだろう。私が高校を出ていなくなり、母が死んで、弟も町を出ていき、ふじこも死んだし、家も立ち退きさせられたし、すべてが、がらがらとかわっていく。子どものころの正月遊びのにぎやかさは、すっかり消えうせて、ある年帰省すると、父はテレビ見ながら寝ているし、叔父は、一升瓶かかえて、釣りに行っていた。ふじこが死んでからは、従姉の家にも行かなくなった。

母が死んで何がかなしいって、正月に一緒に百人一首して遊んでくれる人がいないことだ。だから母が死んでから正月は来ていないのである。花札くらいならつきあえるだろうと、ゆうべ、面倒くさがるパパを誘って、花札した。
学生のころ、韓国へ行った帰りにフェリーのなかで、韓国人が花札するのを見ていたら、傍らにいた日本人のおじさんが(大学の先生だったらしいが)韓国の花札をお土産に買ったというのを、ひとつプレゼントしてくれた。たんざくの文字がハングルで、プラスチック製。
勝負は6-2で私の勝ち。でも遊ぶって、こんなんじゃなくて、なんかもっと、本気のことだよ、と思うけど、あのころの、子どもに酒飲まして平気でいた人たちの、熱くてやさしい遊び方みたいなのを、伝えようもないなあ。

今日は、うれしくもないが、私の誕生日。
ちびさん、なんか絵をかいてくれた。
どっか、貼っとこう。