笹井宏之さん逝去

笹井宏之さん逝去。24日の朝という。

最初に思い出したのは、なぜか、くらやみの力士のことだった。胸をどんとつかれたような気がしたからかもしれない。
歌集をひっぱりだした。

 くらやみでつっぱりをする力士からふっとばされて出会いましたね
 加速するお相撲さんを抱きとめてああああわたしあああかなしい
                  笹井宏之「ひとさらい」

昨日は午後、何も手につかないし、「ひとさらい」を読んで過ごした。

好きな歌はたくさんある。

 二十日まえ茜野原を吹いていた風の兄さん 風の母さん
 水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
 次々とお墓にふれるこどもらの鳩の部分がふぁーんとひかる
 ひたいから突き出ている大きな枝に花を咲かせるのが夢でした
 晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまで磨いていたい
                  「ひとさらい」
 感覚のおこりとともにゆびさきが葉でも花でもないのに気づく
                  (昏睡動物)

私たちが普段、実体と思っているもの、体や事物が、実は仮のものだという感覚が、彼には強くあったように思う。その感覚のありようが、私にはとてもリアルなものと感じられた。
仮であることは、虚しさとは別で、たとえば仮のからだをとおして、何か根源的な熱、あるいは氷に触れる。
その根源的な熱、あるいは氷、または重力の作用、恩寵の働きのようなものに、ひどく敏感な人だったと思う。

 からだだとおもっていたらもっともっとはいっていっていきなり熱い
 氷点下(ひらいたままの噴水でむつみあう鳥)なぐりあう人
 おりものに織られて届くどちらかといえばあなたのようなぬくもり

仮のものであることは、遥かなものと確かなものとを行き来するようなことだったのだろう。あれこれと変容する変容させる、その手つきが魔法使いだった。あるいは、詩人(歌人)という職人。

 かおをあらう 遥かなものの手ざわりが確かなものに置き換えられる
 車輪には観覧車しか使わない職人がきょう埋葬された

つきつめれば生死について、結局自分自身について、とてもシンプルに語っていたろうか。

享年26歳。信じられない。
確かな手ざわりが、遥かなものに、さらに遥かなものになる。わたしたちは生死生死をくるくるまわるのだとして、だとしても、かなしい。

次の旅が、楽しいものでありますように。観覧車からのながめが、いっそう美しいものでありますように。

「新彗星」創刊号に次のような歌を見つけて、息つまる。

 借りもののからだのことを打ち明けてあなたはついに氷上の星
                      (昏睡動物)