前線

フィリピングッズを買ってもらえるというので、(ついでにキューピーも)届けに行き、ちびさんにマジックをもらって帰る。
1月のカレンダーの裏は、ひろびろと、うれしい白さに輝いていて、もらったばかりのマジックで、ちびさん塗り始めた。いちめんに真赤。
「夕焼けのまち、なの」
手前の古代文字みたいなのは、木に電飾がついているのらしい。

マジックとか、ボールペンとか、あっ、というまに、インクがなくなる。



テレビの幼児番組とかアニメとかまるで関心をしめさない子だったのが、最近急に面白くなってきたらしい。リモコン、隠しても隠しても探し出して、胸に抱いてテレビの前でとびはねている。
ケーブルテレビの番組表とか勝手に見るんである。それをまた、覚えてしまうんである。
「おかあさんいっしょ」とか、「ケロロ」とか、あれこれのアニメを見てとびはねるのはまだわかるんだが、お天気専門チャンネルの天気予報で、なんであんなに興奮できるかは、不思議だ。
画面みながら、ひとりでしゃべりまくっている。「山口は曇り、広島は曇り、札幌は雪」とか。「波の高さは瀬戸内側が1メートル、山陰が5メートルとか」とか。いつが満月で、いつが新月で、いつが下弦の月である、とか。

「低気圧と高気圧がぶつかるところが前線なんだ」
(漢字の表記は、ちびさんの読める漢字)
と、私は今朝5歳の子どもに教えてもらった。

知らんかった。そうなのか。前線っていうのは、そうなのか。



朝、幼稚園バスにいまだにひとりで乗れない。入口の段差を登れないのだ。荷物のようにかたまっているのを、先生に抱きあげてもらう。
帰りのバスはひとりで乗れるのに。
不思議なのだが、バスに限らず、場面によって、できるはずのことができなかったりする。だから、まわりからは、ふざけているか甘えているとしか見えなかったりするのだが。
歌うことを期待されていないときにはラアラア歌っていたりする。でも、さあ歌いましょうとなると、そんな難しいこと、ぼくはできない、と思うらしく、黙りこんでしまう。

たぶん、自閉症の特徴として、あるんだと思うんだけど。場面緘黙症のような感じかな。

さらに面倒なことに、一度できないと思いこむと、頑固だ。しかも、できたほうがいいのだ、とか、できるようになろう、というような志はまったくない。(そういうところが、もうほんとに、私に似ていると思うわ。)

朝のバスの段差。そろそろ1年になろうかというのに、いまだに突破できない(あるいはする気のない)前線。



『christmas mountain わたしたちの路地』青磁社の週間時評で、松村由利子さんがとりあげてくださっています。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_090202.html

松村さん、ありがとうございます。