2011年8月 パアララン・パンタオ 5

☆ レイとジュリアン

日曜の朝、レイがやってきた。私は9年ぶりに会う。会うんだが、なんてまあ太っちゃって。いいおじさんになっちゃって。ああ、34歳なんだ。

レイとジュリアンは、パアララン・パンタオの最初の奨学生だった。レイは、ここで勉強してハイスクールに行って卒業して、カレッジに進学して、首席で卒業した。それが2003年頃。首席で卒業したが、コネもないパヤタスの子に就職はなかなか難しくて、何年か、パアラランで先生をしていた。
ちょうどジュリアンが、ジェイの会社に就職した2006年頃、レイもパアラランの先生をやめて、仕事を探していた。
その後のことを知らなかったのだが、3年前からMMDAというマニラの政府機関の仕事に就いている。
いま7歳と3歳のふたりの男の子がいる。奥さんはどんな人って聞いたら、「ベリーストロングだ」って言った。

ジュリアンも来ていて、台所でパンシット(という料理)をつくっている。むかし、ふたりが奨学生だったとき、大学に行く前、帰ったあと、必ず学校に寄って、あれこれの用事や給食の準備をしていたのを思い出す。ふたり、台所に並んでごらん。写真撮るから。
ああ、ふたりともすっかり太っちゃって。私、ふたりが台所で並んで撮った10年前の写真をもっているよ。レイが「ビフォー、アフターだなあ」って笑う。ふたつ並べてみんなに見てもらうよ。

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私はうれしい。ゴミ拾いやゴミの仕分けの仕事をしながらハイスクールに通った少年たちが、カレッジを卒業できたこと。就職もできて、家族をもって、暮らしていること。当時、ハイスクールに進学はしても、卒業できる生徒はほとんどいなかった。ふたりはゴミ山で働きながら、自力でハイスクールを卒業した最初の生徒たちで、それだからレティ先生は、彼らの大学進学をサポートすると決めたのだった。支えてくださったスポンサーのみなさまありがとうございます。

レイは、3年ローンでオートバイを買った。
ね、それでドライブしようよ。私を後ろに乗せてって。
実を言うと、私はここで籠の鳥。治安の悪化が理由だが、ひとりではどこにも出してもらえない。それにダンプサイト(ゴミ山)周辺は、いま立ち入りには許可が必要で、まず山には登れないし、勝手に歩きまわってはいけない。
MMDAのネーム入りシャツを着たベリーストロングなボディガードつきならかまわない、ということで、パンシットを食べたあと、長靴はいて、レイのバイクの後ろにまたがった。ぶるるん。ゴミ山のふもとの通りの、レイの家まで。ぶるるん。
4年前に今の校舎に移る前、旧校舎があったところには、ゴミのなかから発生するメタンガスを利用した発電所がつくられている。その向こうはひろびろと、ゴミの山。トラックがゴミを捨てにゆくところは、はるかに高く、はるかに向こうで、見えないが、ふもとには、スカベンジャー(ゴミを拾う人)たちの家やジャンクショップが、ひろがっている。以前よく出入りした家々もあるのだが、バイクはぶるるんぶるるんとゆきすぎる。
バイクのぶるるんがとまる。舗装がとだえると、道はたちまちぬかるみで、レイはバイクを押して、私はバイクをおりて、ゴミの上を踏んで歩く。長靴正解。ゴミを踏むなつかしい足裏の感触。独特のゴミの臭い。向こうに見える山は、ゴミの山です。

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レイのベリーストロングな奥さんはサリサリストアの店番をしていた。とてもしっかりした女の子だなあ、と思った。それから3人で、今度はジュリアンの家まで、歩いていく。坂道のぼる。途中の道では、ゴミのなかから拾ってきたマットレスが一面に道にひろげて干されている。洗って干して、カットして、錬金術ののちは、新しい布にくるまれて新品のマットレスや枕になります。背負って市場に売りに行く。
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ジュリアン一家の、寝室とキッチン、トイレだけの小さな家で、2組の夫婦が長いことおしゃべりしていた。ジュリアンの息子のカイルは2歳。まつげの素晴らしく長いかわいい男の子だが、脳性マヒか何かだろう。いまも寝たきりで動けない。カイルの病院や、薬のこと、リハビリのことなど、ジュリアンの奥さんとレイの奥さんが、あれこれ情報交換していた。
私の従姉の娘が脳性マヒで、ちょうどこんなふうだったが、不思議に表情もよく似ていて、なんだか、すごくなつかしい場所に連れてもどられたような気がする。
「ぼくは立ちたいよう、ぼくは歩きたいよう、ぼくは泳ぎたいよう」
関節が固まらないように、手足をゆっくり動かしてやりながら、お母さんのモッチがささやく。
私にもやらして。カイルくんに、抱っこして頬ずりしてキスする。きみはねえ、ほんとに素敵なお父さんとお母さんをもってるんだよ。

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かけがえがない。かけがえがないという言葉が、浮かぶ。かけがえのない子どもになる。かけがえのない人間になる。
家族や友人が大切で、ありがたいのは、そこで人は、ひとりひとりかけがえのない人間になるからだ。
人が生きるというのは、他者に出会うということのほかではないが、それなら生きることの意味は、出会った他者を、かけがえのないひとりにしていく、ということだ、きっと。そして家族のようになる。

☆ 別荘

それから学校に戻って、お昼ごはんのあと、レイと、ジュリアン一家と、レティ先生と、クレアアンと私、車に乗り込んで、マニラ郊外、バラスというところにある、別荘に向かった。去年、レティ先生の息子のジェイ夫妻が(おもに妻の家の出資で)つくった小さな青い屋根の家だが、休暇を過ごすのに、家族や友人みんなが使っている。 畑もあって、バナナやマンゴーの木も植わっている。
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車の中で、カイルは、えーえー、と泣くような歌うような細い声をあげて、モッチが、小さな声で歌を歌う。運転しているジュリアンが、前の席から声をかける。その声の響きがやさしい。
子どもが愛されているという光景は、それだけで、無条件に至福なんだと思った。たとえそこに、つらいことのあれこれが、差し挟まれているとしても。

山道をのぼっていって、着くと、ペレが出てきて、門の鍵を開けた。ペレは去年まで、パヤタス校で先生をしていたが、いまはここで、敷地内の古い小屋に子ども4人と住んで、別荘番をしている。
ペレが先生をやめたのは、妊娠出産のため。彼女は夫と別れて、息子3人連れてパヤタスに戻ってきて、パアラランで先生をしていたのだが、ある日、子どもの養育費の相談に元夫を訪ねたらしい。養育費がどうなったかは知らないが、4人目の子どもができたことはたしかで、母親の家にもいられない事情があったのだろう、5月からここに住むことになり、6月にはじめての女の赤ちゃんが生まれた。レティ先生は、ペレをここに住まわせて畑の管理をさせることで、彼女の生活をサポートしているのだった。
クレアアンが、ペレの赤ちゃんをずっと抱っこしていた。
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近所の農家の人たちが、とうもろこしをたくさんもってきたのを、袋ごと買って帰った。それをレイが、親の店で売るといって買い、ジュリアンが近所のマジョリー(レティ先生の姪。以前パアラランの先生をしていた)の店で売るためにもって帰り、 残りが私たちのおやつになった。

学校に戻ると、ロザリンは洗濯物にアイロンをかけて畳んでいた。雨季、洗濯物はなかなか乾かないのでアイロンで乾かすのである。
グレースは、ノートに手書きした、学校の経理のレポートを、パソコンできれいに仕上げるように、レティ先生に言いつけられていたが、昼間は遊んでいたんだな、夜になっても終わらず、真夜中過ぎて、私がふと目がさめたときにも、まだやっていて、朝になっても終わっていない。