2011年8月 パアララン・パンタオ 4

☆ ジェイの計画

土曜の午後、レティ先生の息子のジェイが来て、ジュリアンとレティ先生と私と、一緒にエラプに行く。
エラプ校の近くの空き家では、ラリーさんたちが、壁塗りをしている。この空き家を買い取って使えるようにする。シンガポールのグループの出資。彼らが、フィリピンに来たときの活動の拠点、にするのだが、それ以外のときは、パアラランの活動に使える、という寸法だ。こんなに手入れが必要なポロ屋なのに安くない。お金がないから、ボランティアでやってよ、とジェイがラリーさんに言ったりしている。
お金がない。お金がないので、パヤタス校の給食が今年はない。無理かなって、ジェイが聞く。無理だと思う、と答える。率直に言って、教師の給料を確保できるかも、私は不安なのだ。できる限りのことをする、としか言えないんだけど。
「日本は、震災もあったし、フクシマの事故もあるし、大変だろう」ってジェイが言う。うん、これからもっと大変かも。
「ぼくもがんばってスポンサーを探すよ」っていう。「それともラリー、日本に働きに行こうか、いまはどうだろう、フクシマの原発で働くのがお金になるかな。」

絶句した。だいたい英語できないから私はしじゅう絶句してはいるんだが。
お金がないと、日本に働きに行こうかっていう、それはいつも通りのジョークで、レティ先生なんか、化粧して年ごまかして、ナイトクラブで踊る、なんて言って私たちを笑わせるんだけど、10年間同じジョークを言い続けていたけど、さすがに足が悪くなったり、薬を飲み忘れて倒れたり、するようになってからは言わないけど。
フクシマに出稼ぎに行く。想像すると、絶望感がこみあげる。日本人がそこで働くのは仕方ない。日本で起きたことなんだから。でも、出稼ぎの外国人を危険な原発で働かせる。もしそんなことになったら、日本はおしまいだ。それは倫理の問題としておしまいだ。ということは、本当におしまいだ。

ジョークである。ジョークだが、むかし、レティ先生の2番目の息子が、本当に日本に働きに行こうとしたことはあった。パアラランにお金がなくて、日本で稼いで、学校の資金をつくれないか、と半ば本気でレティ先生も考えていた。私がはじめて訪れた94年、95年頃。来ないほうがいい、と私は言った。来てほしくない、と思った。日本は、外国人労働者を大切にする社会じゃない。ここで、かけがえのないひとりひとりである人たちが、日本で底辺労働者として雑に扱われるだろうと思うと、つらかった。
私がお金を集めればいいんだ、とそのときちょっと思ってしまった、……で、いまにいたる、と。
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話は変わる。「エラプの教室や、この家を使って、若者たちのためのトレーニングセンターを開きたいと思ってる」とジェイ。英会話やパソコンや車の運転や、裁縫や料理や、そういう職業訓練が、若い人たちが仕事を見つけるために必要だ。とはいえ、まったく資金がない。レティ先生は、エラプ校の給食を支援してくれているスイスのグループに、お願いの手紙を書いたが、まだ返事はない。
こういうことは、日本でなら、きっと政府の仕事なんだろうが、ここでは誰も、政府が何かしてくれる、とは思っていない。
学校が必要だ。グループホームが必要だ。トレーニングセンターが必要だ。それは誰の仕事なのか。必要だと気づいた人の仕事なのだ。
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☆ 雨

パヤタス校にもどると、ロザリンは掃除している。えらいなあ。
試験を終えてもどってきたロレインと、クレアアンが、グレースのパソコンをいじっているが、インターネットにつながらない。「ダンプサイトがあるから難しい」って言う。グレースは2段ベッドの上に空き箱をつみあげて、その上に機材を置いて、それで夜中にネットしているんだけど、いろいろコツがあるんだろう。
滞在中2度ほどパソコン使った。途中でつながらなくなったり、バッテリーがきれたり、ここで使うコツを身につけてないとなかなか大変なのだったが。夜遅くに大学から帰ってくるグレースに助けてもらった。

ある日、メールを開くと、毎日新聞に載った東北の朝鮮学校の記事
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20110727ddn013040036000c.html
に対して、
これはとても良識的な記事だとうれしく読んだけれども、その記事に対して、たくさんのいやがらせのメールや電話が届いているという。
「新聞社に攻撃や誹謗に屈することなくがんばって欲しいというメールかFAXをお送りくだされば大変ありがたいです」という内容のメールが、3通ほど入っていた。
そのあと接続がきれて対応できなかったんだけど、暗澹とした。
ああそうだ。日本っていうのはそんな国だ。人間の心の汚れた国だ。心の汚れた人間のたくさんいる国だ。
なんだか、まざまざとそう思った。
ここで、外国人の私が、むかし、ただ居候していたときも、その後、学校支援をするようになってからも、変わらずに大事にしてもらっていることを考えると、日本人の(一部の、と言おうか、政府の、と言おうか、大勢の、と言おうか、なんて言おうか、)在日外国人に向けた、排他的な残酷さは、まったく常軌を逸していると見える。狂っている。近代の100年を狂いつづけている。それはもう魂にこびりついた宿阿だろうか。

ここはすこやかだったのだ、と思った。それで、私はここが好きになったのだ。心がすっかりなついてしまった。
ここで、子どもは次々生まれて、にぎやかで元気で、むろん、彼らが、ごみ山に登って、ごみ拾いしていることが、いいことであるはずはないし、いま小さい子たちのゴミ山への立ち入りは禁止されて、でもトラックの落としていったゴミのなかから食べ物を拾い食いしたりしていないわけではないし、食事はまずしいし、栄養が足りているわけではないし、家庭は壊れやすいし、それはそれなりにいろんな危険もあるわけなんだけれど、根本的な生命力は、すごくすこやかだ。
ゴミ袋に入れて捨てられていた子を養女にして育てるような愛情とか(で、その子のベッドをいま私は占領しているんだが)。近隣のコミュニティであるとか。貧しさというのは、ありのままを開けっぴろげにして、助けあわないと、生きられないということでもあるんだが、そこには何かとてもすこやかなものがある。
もしかしたら日本で、私たちが失ってきたのは、そうして病んでいるのは、このもっとも基本的なところの生命力とか生命感覚であるような気がする。助けあったり甘えあったり気づかいあったり、して生きること。
言葉が不自由だというのは、ここにいるとそんなに問題でもない。声の響きというのは、なんというか、その人の精神のありようを、そのまま伝えてくれるようなところがあって、私はここの人たちの声の響きが大好きだ。率直で、あたたかい。

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昼はかんかん照りだったのに夜は大雨。雨音で何度か目が覚める。雨音にまじって、かすかに声がする。グレースがケータイで誰かと話している。天井を這うヤモリの鳴き声がする。
ふいに、まだグレースが6歳や7歳ぐらいだったころの、雨の日のことを思い出した。ペソの雨が降らないか、ドルの雨がいい、エンの雨ふれ、とか、大人たちがそんなことを言っていたときに、グレースが大きな声で、「レインレイン、カミング」って歌っていた。それから子どもたち、グレースもロレインも、ロレインの姉のジョイやチャイリンも、みんな雨のなかに出ていって、水かけあって、ついでに石鹸で体も洗っていた。
それがいま、グレースは真夜中に、ささやくような声で、ボーイフレンドと電話している。
寝たふりをするよりしょうがない。

……私の上に降る雨は。