子どもの日のこと

子どもの日。町内会からはお菓子が届く。中学3年まではお菓子を貰えるそうだ。
朝、山口から義父母さんがやってくる。連休中、帰省できずにいたら、向こうから来てくれた。
回転寿司に行って、それから本屋に行く。息子、食べたい放題、買いたい放題。
大きな本屋だったので、「鉄道」のコーナーがあり、それを見つけてしまった息子、コーナーまるごと買ってしまいそうな勢いで、あれもこれもと本を抜き出していく。値段も見てない。
高すぎるもの、なくてもいいかと思えるものは、棚に戻すように言ったら、数冊は戻していたけど。あとは全部買ってもらっていた。他の本も入れて全部で14冊。
一度に。まとめて。Cimg7670



にこにこしながら、支払いをしてくれるおばあちゃん。
孫のために、こういう出費をしても大丈夫な生活なのだから、ありがたいが。

息子、羨ましすぎる。

寿司、ではさほど思わないのだが、そんなにたくさん食べられないし。でも本をたくさん抱えてレジに行く息子を見ていたら、ものすごく贅沢な気持ちになった。

たとえば、一冊の本を買うために、食事をあきらめるとか、買うか買わないかを、長い時間悩んで、手に取ったり棚に戻したり、また手に取ったりしてみるとか、買わずにすませるために、立ち読み、疲れてしゃがみ読みで、一冊二冊読み通すとか。
本屋って、本との出会いがしあわせである一方で、お金がなくて買えないか、買うためにはそのほかのことをあきらめなければならないか、という心がこすれるようなみじめさとも背中合わせの場所だけど、
日常はそんなふうだけど。

息子は、おじいちゃんおばあちゃんを引き連れて、非日常の贅沢をするのだ。
そしてまたこの子は、この贅沢を当然という顔で享受するのである。

一方で、私と一緒にいるときなんかは、母には何にも期待せず、自分の欲しいものは、自分の小遣いでつつましく遣り繰りして不満も言わず、それはそれで平然としているのだが。

私も、本をたくさん買ってもらったことがあったなあと、思い出す。
高校生のとき、誕生日に兄が本を買ってくれた。
兄はあの頃、借金まみれで、ぐちゃぐちゃの生活だったから、妹に金使ってる場合じゃない、それより、自分の借金をなんとかしてほしかったけど。でも、なんともできないこともわかっていたから、なんかもうひらきなおって、好きなだけ買えというので、ほんとに好きなだけ買った。両手で抱えきれないほど、腕が痛くなるほど。
冬の夕方の商店街を本屋から本屋へ、兄とふたりで歩いた。お祭りのような、はめをはずした買い物の、笑いたいか悲鳴をあげたいか、わかんないような気持ちの。


夜。晩ごはんは適当でいいよね、と、どれくらい適当にしようかと思っていたところ、近所から魚をもらった。これが。
釣ったばかりのチヌ。体長45センチの。昼間、柳井で釣りしてたんだそうだ。
私は家事なんかしない子どもだったけれども、宇和島で生まれ育ったのはまずはよかった。魚捌くぐらいはなんとかできる。なんとかできるけれども。刺身、絶対刺身、と息子が言うので、刺身にしたが、皮剥くのが面倒だったな。残りはあら煮と汁もの。
贅沢な晩ごはんだった。
なんか、へんに贅沢な、1日だった。

畑のいちご、3個。Cimg7671