しなければならないことがたくさんあると、しなくてもいいことがはかどる。
逃避行動といいますね。
息子が「罪と罰」を読み始めたのは、冬休みの宿題がたくさんあるから。でも、ラスコーリニコフが、金貸し老婆を殺しに行く手前まできて、読むのをためらっている。このあと殺してしまうんだということは、もちろん知っている。
で、それはいったん置いといて、かわりに読み始めたのが、東直子「とりつくしま」で、なんかあっというまに読み終えて、面白かったというので、私も読もう。
ちょうど、東さん原作の「いとの森の家」のドラマの再放送もやっていたので、息子と一緒に見た。樹木希林さんのハルさんが、アヴェイ、アヴェイと言っていたのは、awayだったのねと、ドラマの終わりころになって気づく。悲しいこと、つらいこと、飛んでいけ。
飛んでいくのは歳月で、大晦日になっている。
29日朝の雪景色。
☆☆
28日、秋田にある大学から、西日本方面に帰省してきた学生さんたち5人ほどと駅で会う。わざわざ足を運んでくれてありがたいことでした。パアラランの話。
若い人たちが、パアラランを訪問してくれたり気にかけてくれるのは、それだけで、本当にうれしい。若いことはそれだけで宝ものと思う。
パアラランでも、日本でも、若い人たちがこんなにがんばってくれて、気にかけてくれて、もうそれだけで、希望がある、と思う。単純に、元気が出る。学生さんたちに支えられて、私もやってこれたなあと思う。
ときどき寝言で、あるいは自分で声にしたつもりがないのに、「ああっ、お金がないっ」と叫んでいて、いつものことなので、家族は動じない。私もパアラランも、お金がないお金がないって、ずっと言いながら、でもパアラランは、来年、開校30年。
なんか、すごい。クリスマス前後に、あいついで寄付が届いて、私は泣くほどほっとしています。
27日、息子の三者懇談で、進路希望とかの話でも、お金がないので、生活苦に陥らずに、心身をこわさずに学生生活が送れるにはどうするか、そしてそのあとをどうするかを考えないといけない、みたいなことを私は言いながら、
自分の学生時代を思い出して、なかなかぞっとしていた。私が体験したみたいな、仕送りがないとか、バイトで疲れて講義に出れないとか、留年するとか、授業料払えなくて休学するとか、パンの耳ばかり、かび臭くなったのもかじってるとか、自分がそのなかで生きていた分には、そんなもんだと思っていたけど、他のだれかがそれを体験するかと思うと、いやいやもう、そんなつらいことはやめて、と思う。
と思っていたら、その翌日くらいに、幼児教育の無償化や、大学の授業料免除と給付型奨学金の記事が出ていて、なんか、とってもほっとした。たとえ親たちの生活がたちゆかなくなっても、きみは大学に行けそうだよ。
☆☆
あんまり書きたくないけど、わりと大事な事件だったなと思うのは、晩節を汚すってこういうことか、と思った老ジャーナリストのセクハラ、というか性暴力が明るみに出された話。広河氏の話は、吐きそうなほどおぞましいんだけど、おぞましすぎて気持ち悪すぎて、でも、それが特殊な事件ではなくて、どこにでもありふれている話だと思えてしまうのがまた、すごくやりきれない。いたいた、そういうおじさん、どこにでもいた、と思うもん。
そのようなおじさんたちが、というか、そのような暴力が生じやすい社会風土やシステムが、(だってどこにでもいるんだから)、私たちの若い日を、どれだけ重く暗く、翳らせてくれたことか。
被害者が、まず内面化してしまう罪や恥は、本当は加害者のものなのだ。
それがあきらかにできたのは、よかった。暴かれるべき暴力が暴かれたのは。
仕組みがわかれば、軽蔑することができる。無駄に傷ついたり病んだりせずにすむ。広河氏はジャーナリスト魂にかけて、大いに恥さらししてほしい。
とてもおぞましくて、痛快だった。
☆
また別の話。
読書とか書評について。
「人の読み方を否定することが一番のマナー違反」
と、見知らぬどなたかが、呟いていたのが目にとまって、それよ、と思った。
まさかそんなあたりまえのマナーが、わかっていないなどとは、想像もしなかったから、いったいこの男は何が言いたいのだと、相当に困惑させられたことが以前あったんだけど、それは業界人として致命的だろうというような、
非常な「マナー違反」をしていたんだよ、あなたが悪いよ。
ということを、わかってるかどうか、わかんないけど、
私ももう、つきあいたくないからいい。
もっと早くに気づいたら、無駄に傷つかずにすんだのに、ということは、私にもいろいろあるんだけど、遅ればせながらも、本当のことがはっきりして、すがすがしくなれるのはいいことだ。
☆☆
友人のみなさま。楽しい1年でした。ありがとうございました。