気づけば5月。連休はぎっくり腰とともにはじまった。ぎっくり腰とともに終わるだろう。昨日までおうちでじっとしていました。2日ほど雨降ったけれども、昨日今日いい天気で。
テレビも見ないから、忘れてしまいそうだったけれど、令和になったんですね。
昭和が終わるときに、寒くて雨ばかりだった記憶なんだけれども、あれは冬だったからかな。
山中智恵子の短歌の印象が、記憶に滑り込んでいるかもしれない。
雨師(うし)として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり
「夢之記」
とにかく30年は過ぎたのだ。あの氷雨のなかから、もう一度やりなおせるならいいなと思うけど、そんなことはできない相談だし、いろいろ悔しみもあるけど、子どもが生まれてからの後半15年間は、文句なく楽しかった。まあ上出来でしょう。
ひきこもってる間に、庭の都忘れが咲いた。すずらんやつつじも。
連休、帰省もしないでいたら、義父母さんが遊びにきた。一緒にお寿司を食べに行く。それからケーキを食べに行く。買い物をして帰る。息子はお小遣いをもらう。ピアノを弾く。
という午後でしたが、途中で、おじいちゃんおばあちゃんがいないときに、息子が「疲れたよ」とぼやいた。「ここにいる5人、みんなコミュ障でしょう。ぼくはもうどうすればいいか」と言うのだった。気持ちはわかる。たしかにたしかに。
するとパパが言った。「コミュ障でない人間なんかいるのか?」
そこまで開き直るか、と思ったが、それもその通りだと、笑った。
つまり、きみが感じているのはこういうことだよね、ママとぼくとふたりなら、共鳴できるところをあわせてうまくやれる。パパとふたりでもうまくやれる。3人になると、ときどきどっかがはずれるけど、それは慣れてるし、それでもめんどくさいけど、
そこにさらに、うまくいっているような、ぎくしゃくしているような、2人が加わると、なんだかもう、わけがわからない、どこにあわせてもどこかがずれる、ずれながら一緒にいるのがたいへんだと、きみは言いたい。
そうそう、とうなずく。
でも、息子は、黙って食べてるだけなんだよね、でも、おじいちゃんのおばあちゃんの関心の的は孫なので、快くちょうどよい感じに、孫の話題を提供しなければならない役回りの私のほうが、大変だと思うんだけど、
まあ、でも、適当なもんですよ。
大人たち4人が、このすばらしいぎくしゃくを耐えられるのは、ひとえに、きみへの愛情を、共有しているから、なんですけどね。
おかげで、すこしだけ連休らしかった。
ぎっくり腰、日に日に楽になっていく感じがよい。もう、短い時間なら普通に歩けるし、畑の水やりもした。ラディッシュ実った。いちごは、明日かあさってあたり、最初のが食べられるだろう。